+
線についてずっと考え20年くらい。:空集の音の間に線は生まれ約束になる(ここまでが2001年〜:ドローイング)、約束は景に入り太極を持って風を待つ(ここまでが2007年〜:絵画。ここで終わると思ってたけど、この先を見る。)
約束は風に解かれ(愛!?、美!?かΦ)に成り音を待つ(未完)。(写真:2022年〜)。
手を重ねると線が生まれる。
手を離すと線は消えるのではなく広がり全てを繋げている。
(2016)
これと、同じコトなんだなと、、。
点線面体宇宙空」とも言える。
Φ」とも言える。
de,
artΦron.
+
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
写真に「うまみ」があると言われた件:
40歳までドローイング(線画)だけを描いたが、その時は「あじ」のある作品と言われた。「味のある絵」。私は文人画や禅画に憧れ(絵描きの絵を描かない)、「楽描きを極める」コトを目標に絵(ドローイング)をはじめました。
https://kaoruarima5.wixsite.com/website/document
素人が100枚作れば良い作品(写真、絵)が1枚はある。その1枚を選べるかが問題になる。その一枚を選べたら、その一枚を実力で制作できるように、さらに100枚、、、、その行為を半年、一年、、続ければ、おのずとコンセプトが見えてくる。
これは、ドローイング制作のスタイルで、写真撮影も同じ方法。これを書いてて思ったが、私は鑑賞者視点の比重が大きい。常に素人でありたい、趣味でありたい。お金を持っている(制作費を使える)事が、作品の優劣を決めてはいけない。また、他者を感動させたいよりも、自分が面白いと思う作品を優先している。それが写真にも出てる(写真でそれができる技術環境が出来上がった)。うまみ」と、あじ」について、自分なりに考える必要がある。
2022/03/30
先日、「写真のうまみ」が詰まっていた、といわれた。ドローイングの時は「あじのある絵」と言われた。常に素人でありたい、趣味でありたい。お金を持っている(制作費を使える)事が、作品の優劣を決めてはいけない。と作品を作っている。それが写真にも出てるんだなと嬉しかった。それは、映画鑑賞、読書、と同列で制作していて、常に楽しみたい。日常の延長美なので、それを他者に強いるのは難しい。
目標が「盗人に取り残されし窓の月」なので、「究極は制作しない」になるけど、それに至るために制作している感じがする。死んだら何も作れないから、それには間に合うといいな。
2022/04/03
絵画と写真についてメモ:絵画は1つの見方を深めて行く過程で技術向上をして行くが、写真はその技術の大部分をカメラがする。安いカメラから高額カメラをテーマによって選ぶので複数の視点を持つことが重要になる。
別の切り口では、絵画は描いてればアートになって行くが、写真はアートがわかってないとアートの写真にならない。
20210507
+
写真制作について:
写真のデジタルデータは無限に複製できてる。有名な写真家でも、写真集によって写真の色や大きさが違う。技術が進み、千円で一冊から写真集やポスターが作れる。カメラは絵の具で言えば、アクリルや色鉛筆のように一般人でも楽書きが楽しめる環境が整った。そんな時代の写真美追求。なのでアンチNFT。
先日、「写真のうまみ」が詰まっていた、と言われた。ドローイングの時は「あじのある絵」と言われた。常に素人でありたい、趣味でありたい。お金を持っている(制作費を使える)事が、作品の優劣を決めてはいけない。と作品を作っている。それが写真にも出てるんだなと嬉しかった。
映画鑑賞、読書、と同列で制作していて、常に楽しみたい。目標が「盗人に取り残されし窓の月」なので、「究極は制作しない」になる。
/2022/
+
盗人に取り残されし窓の月
あるとみて なきは常なり 水の月
ないとみて あるは常なり 水の月
窓の月、水の月。
風景を見る時、すべて失った時に見る月を思う。
15歳頃のトラウマ(親が他人の借金背負わされ引越しするが、その時、私の大切なモノを全て無くす。5年後には両親に縁を切られるコトになる。)ため、失うことの恐怖を味わいたくないために、他者との関係性が希薄。
真剣に他者と向き合うコトを避けて来たため、深い関係性が築けない。
だからこそ「今を大事に思うがゆえに起こす行為。」だったらよかったのだが。
一生引きずり美意識までに昇華させないとダメなのか。
この美意識は狭すぎる。
物凄く薄めてちょうどイイかもしれない。
関係性の作用反作用。
しかし、これでは妻がかわいそうだ。
早く昇華しなくては。
2022/04/20
+