2017-11-04

鼠径ヘルニア(脱腸)と診断された件。




鼠径ヘルニア(脱腸)と診断された件。

女医に血を6カプセル採取され、何度も服を脱ぎ「吸って吸って」「頑張って」などと言われ、放射線を浴び続けるプレイをした。7800円だった。

間接照明だけの個室で、女医に上半身にゼリーを塗られ、棒状の器具でグニグニされ「吸って吸って」と言われ、最後におしぼりで上半身を丁寧に拭いてもらい、自分の心音をいろんな角度から聞くプレイをした。2800円だった。

作品のコンセプトとか、思考パターンの重要な要素に猫穴がある。どんなルール(縛り)にも猫が自由に出入りできるような穴を用意しておく。風通しを良くするため。まさか、自分の輪郭までボヤけるとは。猫ならぬネズミ。鼠径ヘルニア(脱腸)になるとは。

鼠径ヘルニア(脱腸)の初期って自覚症状が無くって、痛くも痒くも無い、なんかちょっと、下腹部のふくらみが、若干違うなぁ、気に成るなぁ。くらい。ただし、放置しておくとヤバい。そして直すには外科手術のみ。

腹腔鏡下ヘルニア根治術(4泊五日):
私の場合、左のヘルニアだが、触診で右も気になると言われた(多少自覚症状あり)。右もヘルニアになっていた場合、両方ともできる術式らしい(結局右は無かったが)。

入院前に、ドクターXを全部見た。流石に手術室に歩いて入った時は「お~これが!!」とキョロキョロ。術後すぐに主人公と患者が喋ってる時があるが、全身麻酔の後はそんなもんじゃない!!!。

全身麻酔。はぁい、何々入れます。「ボンヤリしてきました。」はぁい、何々入れます。「点滴の所が冷たい感じです。あ、クラクラします。」の後、気づいたら、よく映画やドラマで見る画面全体に人の顔が沢山出てくる感じで「終わりましたよ~。」だって。ーー本当に「死」が怖く(恐ろしく)なった。

全身麻酔の術後が大変だ。両足に一日中足首をマッサージする器具を付け、交互にプシュープシュー。左手に血圧計で最初は20分ごとにプシュー、終盤は2時間ごと。右手は点滴と指先のヤツ。見えなかったけど、2つくらい器具を上半身に付け。そして、尿道カテーテル(これが慣れない)。

尿道カテーテルを抜く時が、もうヤバい。「ゆっくり吐いてください。」す~、ふ~~~==★?!!!?^!!**^^==~~~~。ナニあの痛み!脳が初めての痛みについて行けない感じ。あまりの瞬間激痛だったので、後から思い出そうとしても思い出せない。癖になる痛みでは無い。

アホなコトに、手術前に風邪気味に成ってしまい。手術台の上で、麻酔師さんに「風邪気味ではないですか~」、と聞かれた時に「そうです。」と言ったので、ザワつき、あ~って言ってください。その時の喉の状況を全員で眺め、「大丈夫!」。あわや延期に成り掛けた。

全身麻酔がまだ効いてる時は、頭も体もスッキリしてたんだけど、麻酔が切れた来たら、風邪がぶり返して来て、発熱と頭痛が始まり、頭痛で寝れなかった。あんまり痛いので、看護師さんにアイス枕と飲み薬をもらう。腹筋が痛くて体を曲げれないので、介護ベットの背もたれを電動で動かし水を飲む。

よく病院で寝てる人って、水を少ししか飲まないんだけど、本当に、少しずつしか飲めない。え、こんだけしか減ってない!って思うくらい飲めてない。しかし、咳風邪じゃなくて良かった。腹部切ってたら、痛くて咳できない。ヤバいな時はフリスクで止めた。くしゃみ一回でテンカウント。

大部屋だったのだが、食事中にもう普通に看護師さんと患者がうんこ、尿、ガスの話をする。多分女性とウンコの話を普通にする機会はこういう場所しかない。長さ、硬さ、回数。なかなのプレイだった。

私の不注意は風邪気味だけではなく、前日に体力を付けないと、と「肉を大量に食った。」普段もそうなのだが、肉食うとほぼ便秘に成る。結果、術後便が出ずに腹にガスがたまり、パンパンに膨れた。普段なら問題ないが、痛くて力めない。これも最悪だった。

病院で、老人は70歳からの認識で、49歳(私)は、まだ若いからと何度も言われる。同室に大腸癌の手術を受けた方がいた。半年入院してる。70超えてからの半年を、ナニもない病院で過ごす。色々考える。

テレビ20時間で1000円は高い。多分、病院とかホテルって一台ずつ受信料を徴収されるから、しょうがないのかもしれないが、長期入院はワンセグ付きのdvd買った方が安い。

早期退院をした。病院のご飯を食べてると、本当に早く退院したいと思う。ネットは繋がってないし、イビキ凄い人いるし。志ん朝の落語大量にipodに入ってたから、本当に助かった。

全身麻酔後に、臍の下の毛は当然剃られてたが、右足の太ももの所に15x20cmの剃り跡がある。何か貼り付けたんだろうけど、イタズラだったら面白い。右手首の表に点滴の針を刺し、強力接着のシールで固定してるのだが、毛深い人は、剥がす時、かなりの罰ゲーム。

高額療養費制度」ってのがあるんだけど、これ「月締め」で、1月間の限度額制度。10月31日から入院したから、その日の発生した8700円は別会計。最初に知っとくべきだった。


後は、傷口が腫れたり化膿することがなければいい。
とりあえず、他は健康。



2017-09-19

Before-After 2017



Before-After




                  finish 




                   ↑




                   ↑






                  start


2017-07-22



リボーンアートフェスティバル 2017(2017/07/21~09/10)に参加。
http://www.reborn-art-fes.jp/



企画内で展覧会内展覧会、ガルバナイズ・ギャラリーを設立。

GALVANIZE (ガルバナイズ):有馬かおる

こういうイベントって終わったらどうなるの!?って思う人多いと思う。なので、終わった後も続いてく展示。今回は三段階に分けられる。1段階:引越をして石巻市民に成る。2段階:期間中の展示。3段階:この場所で多目的スペース(GALVANIZE gallery )を運営し、ノウハウを作り、私がいなくても運営が成り立つ状態にする。一段階目は、やり逃げ防止。同じ目線に成る。二段階目でグループ展にしたのは、展覧会内展覧会(内展覧会、、)と、入れ籠を作る。中の中は外とうい状態を作り地域と繋げ、フェスから片足を出す。三段階目は、期間が終わってからの話になるが、このフェスは10年続くと聞いた。ならば、今現在の若者(高校生とか)が作家として、企画者として戻って来て、何かするかもしれない。そんな未来を観ながらこの展示は、この「場」は生まれ落ちる。

グループ展参加チーム:
キワマリ荘(犬山)、水戸のキワマリ荘、パープルーム(相模原)、XYZ Collective (東京) 

http://galvanizegallery.blogspot.jp/search/label/GALVANIZE%20gallery%E3%81%AE%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8A






2017-06-12

めも : 2017−06



PK(インド映画)、宇宙人一人が地球に取り残されて、帰るために、地球の神様にお願いをしていく。その過程で色んな神様が出て来きて、最終的には新興宗教とバトル。面白かった。


石巻では水の出し方が逆だ。下にすると止まり、上げると出る。引っ越してきた当時は千葉と逆だったので、よく間違えた。これは震災の時、上から物が落ちてきて、水が出しっ放しに成ったらしく、その後、現在の形に成った。と水道屋さんが言っていた。



大木裕之さんは、新しいコト、面白そうなコトに敏感に反応し行動する。展示の誘いを受けると「まだ、大木さんのアンテナに引っかかるのか!、頑張ろ。」って気持ちになる。出会って、もう20年くらい。

この展示だけで、2時間しゃべれる(笑)。
食事中に観るモノではない。



騎士団長殺し」読む。まず、こういった本は100円になるまで、粘るのだが、それまで生きてられるか?と思い、上下2000円で買う。まず、驚いたのが、第1部の本の栞紐が根元で切断されていた。凄い演出だ!と読んでいたのだが、2部は普通の栞紐だった。いたずらだ。これだから古本は面白い。

主人公が絵描きで、肖像画家。私がハマるに決まってる。集大成的に、今までのパターン、ネタがモリモリ。と思えば、ココは、前書いたからカットみたいな。読んでると、ずっと描きたいコトは変ってないんだなってコト解って勉強に成る。

主人公の男が、モテすぎる。って言われるけど、自分を好きに成ってくれる人は必ずいると思う。鈍感か好みが強い人は無理(でも、それが普通)。しかし、この主人公は選ばない。流れを受け入れてるだけ。受け身としての器。受け入れるコトで進む物語。

クラシック音楽。ウエストゲートパークも一話に一曲でてくる。その度に、イラっとするが、とても重要なんだろうとは思う。BGMのレイヤー。根底に流れる西洋の物語(構造)。対比と同期。







つづく

2017-03-15

最近のツイッターまとめ


ソードアートオンラインⅡ観る。面白かった。電脳コイル」以来の衝撃。前者や攻殻機動隊は現実の中でのバーチャルだけど、SAOは逆でマトリックス寄り。能動的マトリックス。VRによって、コレに近い現実が始まろうとしている。30年前、マンガやアニメが私にとってのリアルであったと同じ様に、

今はネットゲーム(VR)が、そうなっていく。それが日常の世界に成り、特撮やアニメの世界観の中で活動し、リアルで感動を与えてくれる場所に成る。間違いなく、そこに新しいアートの扉がある。現実とは何か、存在とは、情報とは、命とは。肉体(現実)と記憶(情報)、魂の場所。


VRで世界中の美術館を体験できるなら、たぶん私なら、現地に行く事は無いだろう。どうせ現実でも触れないし、作品が情報化されたら、拡大して、ゆっくり観察できたりするだろうし、購入も格安だろう。まあ、そこまで行くと、VRより、スタートレックのホログラムなのかな。違う技術だろうけど。


夢を観た。団地の中でのマラソン大会。だが、玄関開けて中に入って行く。中の人々は、ゴミの中で暮らす子供、痣だらけの女性、寝たきりのおばあさん、、、、。映画や小説で読んだり観たりした記憶だろう。ランナーは見過ごせなくなって走るのを止めると失格。後半は皆が憔悴しきっていて、

かなり人数も減った。ドアを開ける。薄暗い部屋、テレビの光と音。貧しさが臭って来る。こたつに女が入っている。目の下にクマを作った女の背中で子供がいて泣いている。左手は外に出ようとする子供を捕まえている。右手がこたつ布団の角をめくる、

全てを吸い込む真っ黒な穴。女が言った。中、観てみる?。足が止まる。中、観てみる?。ごめん、無理。」と答えてしまった。出口に私の靴は無かった。目が覚める。

100円で源氏物語あったから買った。いきなり美に関しての記述発見。夏目漱石の吾輩は猫である」にも美術のコトが書かれてるけど、前者は良い絵について、後者はオリジナリティについて言及している。関係ないけど、最近、平面作家が立ち上げる立体」感覚が琴線に触れる。平面作家建立物語。


会話の中に節をつけて歌を入れたがる人たちだ」源氏物語の一節。平安京ラッパー。


夕顔の花の載せられて来た扇を見た。よく使い込んであって、よい薫物の香のする扇に、きれいな字で歌が書かれてある。、、、、散し書きの字が上品に見えた。」ユーガッタメール。「惟光は主人の例の好色癖が出てきたと思った。」視点の変化について行けないが、思った以上に面白い。


草間弥生をアウトサイダーアートにしたい歪んだ愛情と嫉妬。あのコンセプトストーリーと活動をそれで片付ける。最近のキャラモノだって、50年100年経って日本のアートを振り返った時、キャラ作品の代表作家」と検索して一番に出て来るかもしれない。戦略。ずっと現代洋画の国。




基本的に自分のコトしか発言しないので、内向きとか自己中とか言われる。私は世界や社会の一部、端かもしれないし中心かもしれない。個であるなら全でもある。個人の問題が社会や世界の問題に変った(すり替えた)時に爆発が起こるのは鉄板だ。


自己治療完治すると絵が描けなく成る。なので幸せから遠ざかる人がいる。自己治療だから絵を描いていたのではない。絵が好きだったから自己治療で絵を選んだ。コレに気づくの時間かかった。もちろんテーマやコンセプトは変る。でも絵が好きな気持ちは変わらない。だから、、。


個性は誰にでもある。ではなぜ同じ様な作品しか描けないのか。それは勉強をしてないからではなく、共通言語獲得のしすぎ。子供の絵が皆同じなのは、人生経験の差。なので素人でも大人(老人)が本気で描けば個性的な絵はできる。


もう少しで他者の意見何てどうでも良い「無我」に入れそう。久しぶりの感覚。日本人は普段、他者の目を気にしすぎて生きてるから、無我に成る事で本領を発揮できる。アメリカ人は真逆らしい。なんてことが、菊と刀」に書いてあったな。


新聞紙作品は、画像によっては絵の部分だけ拡大される事もあるし、新聞全体の時もある。これは(自宅)展示と同じ理屈、どこまでが作品(絵)か解らない。これはキャンバス作品にも繋がっていて、たまにネットで上(下)がカットされていたりすると、「よし!」と思ったりする。
これは人生自体もそうで、引っ越し」を作品にすると、どこまでが作品かもわからない。中途半端な作品ではなく中途半端(途中)を作品(コンセプト)にして行く成れの果て。新聞作品を展示すると皆、新聞の記事を読む。古新聞はその記事を知らない人にとっては新聞。絵がある事で永遠に新聞。




分けるコトが知るコト。問題と答えの間にあるイコールの意味。1+1=□、2は制作者の望んだ答えを導くだけ。1+1、1x2、8/4、、、、(10進法だけでも)無限。ラベル、縛りの解体と構築。問題と答えは同時に存在する。全ては始めからある。


アートの勉強しなくても、今の自分の気持ちをきちんと表現できればアートと繋がる。だって、今を生きてるんだから、ちゃんとした表現なら、今の社会や時代にリンクするに決まってる。次の段階に行く(言葉にする)時困るとは思うけど。


20年ほど前に、日常生活に展示を持ち込んだのが私(有馬かおる)で、展示に日常生活を持ち込んだのがミスターさん。ざっくり言えば、そんなイメージ。なので私は常時そこ(会場)にいる必要があると考えた。方や新聞紙、方やレシートにドローイング。それから、。


私は線上(アウトライン)の人なので、全てに触れているが、どれにも成れない性質。地図の輪郭。場所は無い。ソレが目標。個展で他者の作品を展示(2010)したり、http://kaoruarima.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301262222-1 http://kaoruarima.blog.so-net.ne.jp/(1/2)


だったら、作品出品せずにキュレーションだけすればいい。とも思うが、これが中途半端のなせる技。触れていたい。新聞作品と同じ。このあり方が落ち着く。生きてる間しか出来ない展示と、死んでからもできる展示。誕生から死の途中。始まりも終わりも知るコトができない。(2/2)


2017-03-08

全部ユニクロだよ。」って言われ、「自慢か!」って思った瞬間など



2年前、全部ユニクロだよ。」って言われ、「自慢か!」って思った瞬間、格差社会の到来を感じた。


ファンヒーター故障(8年目)。分解清掃。直る(原因:点火プラグの汚れ)。ネジが5つ余った。さすがに5つはヤバいか、、、バラすか、、、。


帰って来たヒトラー観る。ファンタジーとリアル(ドキメンタリー)のミルフィーユ。考えさせられすぎて、はきそう。こうして思考停止に持って行かれたら、打つ手無し。逃げて(離れて)観察。


新しいドラえもんの映画観てて、ノビタのママが可愛く思えてきた」と、つぶやいたら、妻にどん引きされた。


歳を重ねると、自分のため」より、誰かのため」の方がモチベーションが上がる。一般的に「誰かのため」の方が大人と成るが、それは単に、自分では上がらないだけ。他者のための方が上と言うわけではないのかもな。


素足の季節(トルコ):奔放な5人姉妹が家に監禁され一人ずつ結婚。末っ子が脱走計画。とにかく娘達が奇麗。トルコってそうなんだ満載。+好きにならずにはいられない(アイスランド):好きな人(鬱)のために中年童貞が、、、終わり方が深い。DCとマーベルばっかり観てたから新鮮で面白かった。


油断すると、油断した場所に縛られる。+暴力と愛撫」って、撫で方の問題?。+我思う故に我ありと思う我あり(もう一声は無理)。+図書館がダメな場所は、貧困が教育(知識、道徳)にも関係して格差が開く。+自分が楽しむ事が一番重要」ってプロが言ってる文末に「だって、趣味でしょ。」が見える。


絵が下手な時は、気持ちの方が前に出る。丁寧に時間をかければ、良い絵に成りやすく、味のある絵に成る。巧く成ると、鼻につく。技術で気持ちを描けるので、薄っぺらく見える。なのでワザと変な筆の持ち方したり、描き方したりして、気持ちを前に出す、気持ちでねじ伏せる感じにする。


若い作家のツイッターとかインスタとか観てると、スカイリム(PS3)を200時間もやってる場合じゃないな、とは思う。ちなみに、この数年色々やった、ファークライ3、ダークソウル2、ラストオブアスの順で面白かった。ゲームはバランスが大事。自分に合ったバランス。さて次は命がけのゲームだ。


私が言うのもなんだけど、何でもアートにするなら、逆にアートと言わない方が「カッコいい」と思えて来た。「文科系極道」。まあ、日本的な考え方ではある。アートにはルールやコンセプトがあるから。アートに寄せるために、プロジェクト」なぁんて言ってる俺がいる。


素、天然で制作活動してるイメージ否定しない。ただ、当時(90年代)の名古屋アートシーンを批判的にとらえた行動をし、世界に向けて発信している自覚はあった。好きだから絵を描く」だけで生き残れる分けないじゃん。対比は作品の中、作品と作者、作品と社会の間に必要。良い絵と作品は違う。


20代の頃、西洋美術の技術(言語)は無駄、邪魔と考え、捨てて行った。違うな、天才と馬鹿が紙一重なら、バカ側からの方が天才に近づけるはず!とハンドルを切った。楽描きこそアートの根本!的な。馬鹿側からのキワマリ。持たざるモノの思考。だがこれが、素、天然、アートじゃないに繋がってゆく。


クリーピー観る:この映画はヤバすぎる。あの終わり方でなければ、気がふれる。映画館で観てたら、途中退席して、ゲロったかも。黒沢清監督作品の中で一番好き。ハイ・ライズ観る:孤立した高層ビルの中にヒエラルキー(社会)を作ろうとする建築家。



卒展で、これ以上生産しても無意味な成熟市場に生い立ちと生活環境が創造させたコーヒー&ソーサー」って言うのプロダクト作品を作ったけど、絵を描くコトに関しては、そう言う閉塞感を全く感じてない。冒険探求。今頃誤植発見!カップ抜けてる。


ドローイングは作品と作者の距離感が近すぎるから客観的に作品を観れるまで放置。その期間は1年以上。何度も加筆し、5年後には65%は廃棄。良いと思える作品は何年経っても変らず良い。(今の)自分にとって良い(大切)と思える絵が、他者にとっても良いとは限らない(場合の方が多い)。



絵の選別(完成)について聞かれたので、こんな話をした。王国に美術大臣の席が空いた。王様が一人一人作品を観て行く。しかし、席は一つ。落ちた者は死刑宣告。合格するコトが重要ではない。その作品と死ねるか」ってコト。お世話に成った方に、鑑賞は殺し合い(真剣勝負)だ」ってよく言われた。



2016-11-19

最近、よく「作品の行き詰まり」の対処方について聞かれるので、考えた。など、、


ドローイングでは小乗と生きるコト、
ペインティングでは大乗と死ぬコトを意識。

ドローイングは作品と作者の距離感が近すぎるから客観的に作品を観れるまで放置。
その期間は1~5年。何度も加筆し、その期間に65%は廃棄。
いいと思える作品は何年経っても変らずに良いので、そう言う作品を展示する。
これは、金にならん完全に趣味の世界。



どっちかじゃないとダメみたいな世の中ホント生きにくい。逃げる、避ける」という選択を卑怯と言う社会も。恐怖をあおり、判断を鈍らせ、究極の二択に誘導する。



タブーは無い様でたまにある。作品批評で「これはダメだよ!」って言われて、ソレが道徳的なコトだと。金脈を発見した気になる。たまに、ソレに気づいてなくて、落ち込んでる作家がいると、パクりたい気持ちを抑えて教えてあげる。私は私で、現在進行中のタブーやぶりで精一杯。


最近、よく「作品の行き詰まり」の対処方について聞かれるので、考えた。

ほぼ、達成感、マンネリ(自己模倣)による行き詰まり。初心に返る、何を表現しようとしていたのか。技術(思考)的変化なら、ズレ、抜き、ねじれ。ここに来るまでに、捨てて来た技術の探り直し。限界なら、作風変えるのもありだけど、鑑賞者がそれを望むなら、その人達のために作る。それが、嫌なら、家族のためと、制作することが望ましい。子供の頃に知った知識だが、有名な味噌ラーメンの宣伝文句「変らぬ美味さ」。しかし、何年か毎に味を少し変えているらしい。客が味に慣れ、飽きるから。ホントかウソかは問題ではない。なぜ心に残るのかが重要。
日本のアーティストは達成目標が低い(それさえも達成困難な状況だからだが)。でもそれは、仕事として考えてないから。自己満足、自己治療の延長(覚悟決めれば、それも悪くない)。私から観ると、いやいや、もっと行けるよ、そのテーマで!と、思うこと多い。


日本人がアートを本気で突き詰めると日常に成る。日常になれば、なんでもありに成るので解りにくい。デザイン、イラスト、グラフィックを極めて行ってもアートに成るとしたら、こっちの方が向いている。


しくじり」ではなく意図的に失速したのだが、改めて始めると、思った以上に前に進まない。同年代有名作家と比較すればいい。何が違うのか一目瞭然だ。素(だけ)とアートを理解して制作するのでは、共感性(これ重要)も持続力も違って来る。間に合わないけど、勉強をするしかないから困る。


英語を英語として理解できて初めてコンテンポラリーアートが理解できる。脳内で日本語に変換しただけで、単語や行間にわびさび、よびつぎ、間、幽玄などの美意識が入り込んでくる。日本国内は、ほぼ翻訳アート(悪いとは思わない)。日本語脳で、英語のできない私はギャラリーに頼る。


美術館を手玉にとった男」観る:
30年間、名前や場所を変え贋作を作り続ける。発見されるが「寄付だから」罪に問われない。話題になり個展開催。有名に成り過ぎ、美術館に「贋作」を持って行けない。皆から「オリジナルを描けと言われる」。その彼が選択した道が凄い。なんかもう童話の世界。


カルテル・ランド」(ドキュメンタリー)観る。:
なんか観た事あるストーリーだと思ったら、デュラララ シーズン1(アニメ)の最後のカラーギャング抗争に似てた。こうやって敵の組織を吸収して行くフォーマットができあがってるんだろう。知ってっても、止められないのかもな。なので、ボーダーライン」(映画)の様な事に成って行く。


Gのレコンギスタ」(2014)観る。:
ガンダム系譜の一番の未来。絶望的に難解。なので、いきなり衝撃のラストシーンに行く。
主人公がいきなり富士山の山頂に向かう(それまではアメリカ、ヨーロッパの様な場所が舞台)。山頂に着く。普通なら、汗拭いて、乱れた髪の毛が風に揺れ、達成感の後のドリンク、、。そんなの無い、なぜならロボットに乗っている。そして、これから世界一周だ!」と、ロボットに乗って降りて行く。ロボットは「富野 由悠季の今までの仕事」ってコトだろう。この状況が良いとか悪いとか言ってない。これが「現状」ってことだろう。

このアニメ、ググると難解、失敗と出て来る。
分かる気がする。ストーリーがまったく理解できない、もしくは、しずらい。
たとえば、全て(人名、グループ、場所、建物、乗り物など)に(よくわからない)名前があり、(何の説明も無く)会話の中に、どんどん出て来る。その名前が、場所、人、乗り物か全然分からない。はっきり言えば、何がどうなってるのか分からない。
さらに、戦闘中に「なぜあの機体がココにある!」の後に「なるほど、、」で別のキャラが「そうだろっ!」っと、戦闘に参加して行く感じの場面(その間5秒ほど)。まったく状況が理解できない。
これ、テレビ放送で観てたら世界観についていけない。
ここで、富野 由悠季が「こどもの為に制作した。」っていうのをポジティブに考える。
すると、上記の様な、考え方をする大人に成るなってコトかもしれない。
すぐに答えを知ろうとするな、自分で考えろ。」と子供達に伝えたかったのかもしれない。


ラジオで、片思いは可愛く、両思いは奇麗に成る。と言ってた。以前、恋愛は才能、結婚は忍耐を鍛える。とも聞いた。


仮面ライダー ドライブ」観る:
最後に、敵と協力して神を倒すんだけど、これ、マトリックスにも、こんな未来もあったってコト。
前半が絶望的につまらないが、それを超えれば最高。
同族殺し、親殺し、自己否定が仮面ライダーの三要素なのだが、このキャラが主人公ではない!
斬新!。
主人公が車に乗ってるから、違和感はあったんだよね。
親殺し、神殺し、ライバル対決がみごとに割り振られてる。
人間vs機械モンスターが、
後半から機械モンスターを作ったモノ(親)vs息子と
機械モンスターを作ったモノ(神)vs機械モンスター。
最終回、親に勝ち、神に勝ち、まっさらな状態で、ライバル対決。
これを見終わった時、マトリックスも、こういう終わり方があったのか。
一神教では無理なのかもな。
だとしたら、このおさめ方は斬新だ。


バットマン対スーパーマン観る:
宇宙人(や神)でさえ、強い男=筋肉ムキムキって設定って、後どれくらい持つのかな。




同級生」というBLのアニメ観た。ライトな感じの。画面が、あだち充っぽいのか、かぐや姫っぽいのか?となりの山田君のほうか?。でもキャラは少女マンガ。あの独特の男の指の描き方。指が触れる場所の意識とか面白い。FREE観た、流石京アニ、水の表現力凄い。ベースにポニョあるのは解る。




数年で物が増えた。絵画関連本。私は、持っているモノが全て燃えてもいい、という感覚。思春期に全部無く成った事があるから。その時から、モノは人にとられる」と思い込み、それが、所有する恐怖に繋がる。他者からの贈り物も怖い。戻るべき場所。あるべき場所が無いからかもしれない。

人にとられないモノ、絶対に無くならないモノ」の探求をする。場所を作り、絵日記の様にドローイングをし、探りを入れる。私の生きた時間が線に成って残っている。家が燃えて、全てが墨に成った時、その墨で絵を描く。そんな状態だった、毎日毎日、わら半紙に鉛筆の線を引っ張った。それが生きるコトだった。

毎日引っ張った線が、世界中に散って行く。過ごした時間、過去の時間。生きた時間が分散してゆく。今日は、雨の音が愛おしい。50円セールで買った小説を何冊か読んだ影響か。



人生かけてますね」「そうかな」人生かけてない人生ってある?、ああ「かける人生がもう無いのか」歳をとるわけだ。


心の闇やトラウマ退治などの解体法を学ぶにあたって、京極夏彦の百鬼夜行シリーズをかなり参考した。曖昧な記憶(映像)を言語化し、別の角度から光を当て、解体する。今だと西尾維新の物語シリーズがそれに当たるんだろうなと、アニメ観ながら思う。


俺はウジ虫だ。だが、絶対に生き抜いて翼を手に入れてやる。と、かなり(20年以上)前の手帳に書いてあって、その生命力にちょっと「いいな」と思ってしまった。


批評が出来ると良いけど、感想しか言えない。そう言う人は、自分にしか描けない絵を追求するしかない。と、いうか、それしかできない。批評が理解できる人は、どんなモノでもアートにできるし、共感性も社会性も高い。解っているから、色々やってみるのだが、


水戸に引っ越した(2007年)直後の文章に、達磨の絵を描いた。
後に、一筆描きに成り、「うちはうち そとはそと のんじゃった」。自分にとって、線とは何かの答え。
達磨を針金で制作し空間的に成る。線の見える部分は氷山の一角で、紙の中や、空間に消えている。個を極めると他者性とか関係性に行き着く。この後、風景に「色」を確認。見えてしまうと、以前どのように風景を観ていたのか思い出せない。



2016-10-19

Before-After(1/2)



Before-After


                    ↑


                    ↑






2016-10-18

Before-After(2/2)



Before-After


                    ↑




2016-10-03

去年マリエンバードで」、ファウスト」、キャラだけがある世界、他



去年マリエンバードで」、ファウスト」、キャラだけがある世界、他



去年マリエンバードで:

ネットで色々調べるが、
これほど、あらすじ内容が違うのも珍しい。
ホントに、皆、同じ映画観てますか!?

しかしこれが、こそが私の理想。
観た人の観たいモノに成る。


天井の装飾、どこまでもフラクタルに続く。
鏡に映る装飾、絵に描かれた庭、扉のレリーフになってる庭の形、そして庭、
トランプの柄、ゲームに使う棒と、リンクしてゆく。
演劇の背景の庭、絵の庭、庭(映画の中の)、~を観てる人の連鎖が私にたどり着く。

演劇が始まっている。
劇中で、男が女をどこかへ連れて行こうとしている。

ここでいきなりラストに飛んでみる。
ロビーで、男と妻らしき女が、同じ様なシーンで幕を閉じようとしている。
この時のナレーションと、最初の演劇のナレーションの内容が重なる。
夫らしき男は、演劇を観ている。
最後まで観ると、2人追う事が出来ないとナレーション。

始まりに戻る。
演劇を、夫らしき男は観ている、が、講演後は映ってない、
だが、妻らしき女がそこにいる。
物語はそうして始まる。

無数にある平行世界と世界をつなぐ「キー」の多重のレイヤー。

夫らしき男」がゲームを二種類する。
1、3、5、7と棒を置き、抜いていく。
もう一つは、ポーカー。
見えているのは、自分の手持ちカードだけ。
夫らしき男」はどちらも必ず勝つ。
権力、支配力。
夫らしき男」は、父親や愛人かもしれない。

全ては、いずれ、立像や庭園の様に動かない過去に成る。」と、ナレーション。
中盤、男と妻らしき女は、男女の立像彫刻を観ながら、その状況を言いあう。
その後、夫らしき男が「実は、この男女は、、、」と真実を言う。
だが、それが事実だと言う証拠はない。

過去の(死んだ)モノの真実は無い。
観た人の観たいモノに成る。

この映画は、過去に成らないためにループし、物語を生産し続ける。
死なない映画。

あれ?、どっちにしろ、
観た人の観たいモノに成る。
ポーカーのプレイヤー。

>

今の感想:
あのループ空間の屋敷こそ「生」であり、
そこから女をつれて行こうとする男が「死(神)」。
ロマンチックな見方をすると、死神が恋をした話。


この映画は、ずっと(20年以上)観たかったが、観る機会が無かった。
レンタルも無いし、中古も異常に高いし。
ところが、最近ブルーレイで発売され(て)た!
はい、Amazon。

一番好きなのは、羅生門だけど、気分によってマリエンバード。
ブルーレイ裏表紙に「羅生門」をモチーフにしたと書いてある。
この世界から抜け出せるのは死ぬときだけ。
そんな映画。


ファウスト(第一部)(第二部):

ファウストの最後、「時よ止まれ、お前は本当に美しい」って、死にたくない」ってコトか。


(第一部)ファウストは悪魔と契約、
「時よ止まれ、お前は本当に美しい」と言ったら地獄に行くことに。
これは、「人生に満足した」らってコト。
(第二部)ついに、言ってしまう。
メフィストによって、魂が地獄に行こうとする、
その時、天使に救われる。

だが、だが、
ファウストは厳密には言ってない。
「(将来)○○に成ったら、こう呼ぼう」って話で、実際はそう成ってない。
死んだ魂の近くにメフィスト(悪魔)が居たから、
そういう流れに成ってるが、完全に自然死。
ただ、「そうだけど、言った事は、言ったよね!」って言われれば、言った。
今なら、裁判だ!

未来は、こう成ってほしい、そして、もし、そう成ったら、満足するだろう、、って話だから、
「まだ、死にたくない!」に、成る。

この場面、ファウストは目が見えなく成ってて、作業の音だけが聞こえる。
この事業をやり遂げるためなら「何してもかまわん!」みたいな事言ってる。
最後まで「やなヤツ」なんだけど、これ本当は悪魔が「墓穴」掘ってる音。
巧すぎる。

ゲーテは死ぬ時「もっと光を!」って言ったぐらいだから。
ホントは「格子戸を開けて」と続くらしいが、意味的に変らない。

メフィスト(悪魔)は言う、
死ぬまで、求めつづけた、追いつづけた、結局最後まで、何も握る事は出来なかった。
しかし、天使はココ(常に努力しつづけたコト)を評価し、魂の救済をする。
これ、好き。

作品性より、作家性を重要視する、日本人に受け入れやすい。
私は、行為(絵を描く)をしつづける事をアートだと考えている。
生き仏(座禅をしつづける)も、そうかな。
危険なのは、何でもアートに成る、日常でさえも。

ちなみに、私が読んだファウストは池内紀(訳)。
これも、去年マリエンバードで」と同じく、読んだ翻訳(本)によって解釈がバラバラのようだ。
例えば、「、、時よ、とどまれ、おまえはじつに美しい、、」池内紀(訳)の「お前」とは何か!?の感じ方とか、
文そのものの意味もそう。

Werde ich zum Augenblicke sagen: Verweile doch, du bist so schoen! 
To that moment [that is, when he sees free men on free soil] I might say ― Stay, thou art so beautiful!

追記:
手塚治虫は「ファウスト」を21歳で描いてる。
ファウストの1部と2部をまとめてる!これは天才だって素直に思う。
「百物語」42歳、
ファウストが完全に日本の風土に置き換えられてる。凄すぎる。
さらに、メフィストが女性で、最終的に相思相愛に。
魂の救い方に、(恋)愛が関係して来る。

この本の解説で、ファウストがドイツ語の普通名詞だと「げんこつ」だと知る。
手塚治虫の20代と40代のコマ割りの変り方とか、マンガの歴史。

ネオ・ファウスト(未完、絶筆)、
「百物語」と同じでメフィストが女性。
1970年代の日本、内容は、原作の第一部がほぼ終了。で、
ここまで、取り上げなかった「ホムンクルス」を取り上げている。
これ、ホントに続き読みたい、、原作だって2部から面白く成る、、残念。

原作でも、唐突にでてくるからな「フラスコに入ったホムンクルス」。
人造人間の最初の記述(という記事を観たけど、探せなかった)。
なぜこの話を、ぶち込んで来たんだろう。
進化と文化。

「世界一美しい人へ」と描かれた黄金のリンゴは誰の手に、、、というギリシャ神話があるが、
パリスが「美女(アプロディーテ)、権力(ヘラ)、勝利(アテナ)」の中から美女を選び、
トロイヤ(トロイの木馬事件)戦争に成る。
この話が、ファウスト(全体的)に反映されている、第二部はヘレナ(美女)探しに行くし。
「百物語」、「ネオ・ファウスト」は、ファウストの満足(欲望)を三つの願いに変更している。
巧い!。

ちなみに、ゲーテが最後に恋(17歳の女性)をした場所はマリエンバードである。


45歳を超えた辺りから、間違いなく別のステージに強制移動する。
死」の捉え方の問題と、その美意識。

知人観てると、自分中心の思考だったのに、
子供(家族)が中心に成ったために、作風の変化が余儀無く。
とかもある。




ただ、キャラだけがある世界:

20年前(2000年頃)、マンガとアニメはアートでは無かったが。
私たちの世代は、日本ではマンガこそ芸術だ!と考え始めていた。
だからこそ当時は、アートの素材やネタとして、取り込む事が出来た。
だが、マンガが芸術と認知されたら、このジャンルは終焉する。
今や、美術館でマンガとアニメは認知され、クールジャパンの先頭に立つ。
美術館で展示されたモノがアートに成るなら、マンガとアニメはアートだ。

マンガとアニメが展示される。
何を観に行ってるのか。
マンガとアニメの中での巧さ、表現力の伝承と進化。
ストーリーや世界観の伝承と進化。
一枚の絵としてみた時、それは、全て断片だ。

主人公の絵がある。
それだけでは、成り立たない、ストーリーや世界観がある。
当然、それは知っていなければ成らない。
日本人は知っている。
海外の人は、勉強しなくてはいけない。
これは、日本にとっての現代アートと同じ。

キャラが自立特化し、ストーリーや世界観のないキャラも生まれる。
ただ、キャラだけがある。

絵(キャラ)の巧さ(キレイ、カワイイ、カッコイイ)は純度を増して行くが、
画面密度が薄く成り、美しさ」の喪失(出版物(量産)の可能性もあるか、浮世絵あるし)。

キャラが無くならないだけで、美術の流れとと同じだ。
この後、風景や人物を視点の変化、解像度の変化などで、色彩や構造に移るから、
西洋美術と違う流れで、同じ場所に行くのか。
視線誘導と思考レイヤー。

鑑賞者の中に、キャラに特化した絵に満足できない(飽きる)人が出て来る。
一枚絵の意味が再発見される。
切り取って、どう自立させるか。
それでも、キャラを保ち続けるか、、、、。


ソレが、顔やfaceに成る前のイメージに持って行く。
言葉に成る前のイメージ。
そうすれば、言葉(英語)の壁を越えられる。

死ぬまで生きる。
人は考える。
生きるコトに意味が必要になる。
言葉にして迷い悩む。


マンガとアニメ」と真逆の絵が補色関係として必要に成って来る。
マンガ家が、アートをディスればディスるほど強く成る(20年前までは立場逆)。
そこにしか、(絵に関して、だけど)日本にアートの必要性を感じない。
今やアートは、マンガにネタにされてる。

年を重ねると、(流行の)マンガやアニメでは、昇華できない「何か」が溜まって来る。
その層が、流れてくる可能性はある。
目も悪く成るし、集中力も無く成るし、、、。
手の中で鑑賞できるモノ、、、分かるなぁ。


梅ラボ観に行った。:
自分の立ち位置の不在。モニターで見る作品、モニターに映るツイッターに切り取られた作品画像。梅ラボの作品と自分とのちょうどいい距離。もの凄くやだけど、ジェネレーションギャップがあるかもしれない。私の上の世代にある「鉄」の様な。梅ラボ(達)は、境界(現実とデジタル)が曖昧。私は、距離は近いが別物。マトリックスの世界観は理解できる。が、何かそれ以上(以外)の繋がり方をしてる。幻覚を観た。風景がピクセル単位で崩れ、風に流された。たぶん、あの展示の影響だ。その時、風景を「一枚の写真(画像)」の様にとらえた気がした。甲殻機動隊(ネットにダイブ)や電脳コイル(ポケモンGO)的でもない。なんだ!?風景の捉え方の変化か?やばいな、チャンネル空けられたかな?そう言えば、キュンチョメさんも風景を画像処理する作品作ってたな。風景、モニターの風景、そこに電脳コイル(ポケモンGO)。普通に風景観てても+2レイヤー。妖怪(幽霊)足したら+3レイヤー。40歳で普通に風景観れた時、感動しすぎて、そこで完結させてしまった。レイヤー足せたのか!これは、面白い。


去年マリエンバードで(短):

どこまでもフラクタルに続く、天井の装飾。
鏡に映る装飾、絵に描かれた庭、扉のレリーフになってる庭の形、そして庭、
トランプの柄、ゲームに使う棒と、リンクしてゆく。
演劇の背景の庭、絵の庭、庭(映画の中の)、~を観てる人の連鎖が私にたどり着く。

全ては、いずれ、立像や庭園の様に動かない過去に成る。」と、ナレーション。
中盤、男と妻らしき女は、男女の立像彫刻を観ながら、その状況を言いあう。
その後、夫らしき男が「実は、この男女は、、、」と真実(嘘かもしれない)を言う。

過去の(動かない)モノの真実は無い。
観た人の観たいモノに成る。

映画が、過去に成らないためにループし、物語を生産し続ける。
観た人の観たいモノに成る。

無数にある平行世界と世界をつなぐ「キー」の多重のレイヤー。
この世界から抜け出せるキーとは何か。



2016-08-08

写楽の線(2):


写楽の線(2):

写楽の線はどういう線なのか、
写楽の線ほど、凄いモノは無いのだが、
一本一本で観た時は、何か足りない。
それゆえ、ゲシュタルトの影響で近くにある線(や色)を引っぱりこむ。
すると当然その空間は歪み運動を続ける。
その運動の連鎖が画面全体に広がり、
私には、写楽のポートレートが立体に見える。

顔の輪郭は黒では無く灰色。
黒は、目、眉、髪で、上部が重く成るから、服の柄で黒を使い、散らす。
鼻が凄い、顔は下から見上げてるのに、鼻は上から。とか、
その鼻筋のラインはどこを描いたの?とか、
この仕様は、鼻のラインだけではない。

もう、究極なんだけど、
描いてないのに、線が見える、とかかな。
まあ、ゲシュタルトだけど。

大きな壁に、小さな作品一点でも、間が持つのを、
情報重力が大きいと考える。
多くの作品を展示する場合は互いの情報重力バランスを考える。
全ての情報には重力がある。
そして、それは立体的に広がり、
線にも色にもある。

なぜ、この話が出て来るかと言えば、
写楽の絵を観ていた時、
情報にも重力があると感じ、
なぜ立体に見えるのか分かった気がしたから。


その辺の事を考えながら描いたのが、2010に描いた下記のシリーズ。
今はそれを、ペインティングに応用している。












このシリーズは2010に、ZENSHIにて個展をした時に、大量に展示。
個展なのに、多く友人の作品がある。と言う、関係性がらみの展示。


展覧会中の記録: http://kaoruarima.blog.so-net.ne.jp/



2016-08-05

観る:シン・ゴジラ(ネタバレあり):


シン・ゴジラ観た(ネタバレあり):

見終わった後「何コレ、傑作じゃん」。
ちなみに、ゴジラは一番最初のと、ハリウッドゴジラ全部を観てる。

踊る大走査線とか、specのようなテレビ的な画面構成、セリフ構成ではない。
日本人だからか、このスタイルは、好きだし、
どこか「しょうがないの美意識」発動。

だが、この映画は違う。
それ以来の何か来た!

光と陰のレイヤーではなく、小津安二郎の様な、モノのレイヤー重視てことか。
クローズアップの多様かな。
独特の画面スタイルだったコトしか思い出せん。
まあ、エヴァなんだけど。

コピー機の移動シーンとか、筆記用具を机視点で撮影とか、
奇妙な視点が何回か数秒だけどあって、いい感じ。
まあ、エヴァなんだけど。


俺は好きにした。お前も好きにしろ。」(だったと思う)
このセリフは、消息不明の博士の置き手紙の内容で、冒頭に出て来る。

そしてこのセリフはその後、何度も繰り返される。
そして、最後に総理大臣(代理)が決断を迫られた時に
「もう、好きな様にしたらどうですか」と。
しかし、あれだけ言われると洗脳に近い、もしくは、監督の自己暗示。
とは言え、心強い言葉。


首相始まりの方で死んでしまう。
矢口史靖のアドレナリンドライブ思い出した。
ヤクザ映画依頼されたけど、別の映画作りたいから、
最初の爆発でヤクザ全員殺すっていう映画。


日本人vsゴジラ(自然災害、311)。
木の話ではなく森の話。
日本の擬人化。
のらくらしてると、外来種の木を植えられるぞ!
どうする!?的な。



片桐ハイリが、いきなり給仕係として出てくる、キャスティング凄い。
まさか、まめぶ(あまちゃんネタ)配ってないよな!?と画面凝視。
色んな所で、色んな人が頑張ってますよってコトだろう。


戦後は続くよ、どこまでも」をマジなのかギャグなのか言う。
マジとギャグの狭間、自虐か。
それは、そう思う。
キャンバスに絵を描いてても、
これ、現代洋画とか、新洋画主義にしかならん。と、思う。
それをどうするか。


ゴジラの圧倒的な強さと火の海とかした東京。
それに対抗すべく、アメリカからの核兵器。
それを阻止するために「考えだされた日本の方法」。
もう、アメリカと日本の映画の作り方。
映画だけじゃないか。

この戦い方を、面白いととるか、滑稽ととるか。
とは言えリアルだ。


ゴジラの終わらせ方は、アレしかない。
どうやって、アレに持って行くか、他にどんな案がでたんだろう。
気になる。

そして最後に、これは日本だけの話じゃないぜ、、の尾尻シーン。
これは監督の野望ともいえる。

魚類からもの凄い早さで進化して、人を超えて行くってコトかもしれないが。



最初怪獣が出て来た時、それとゴジラが戦うと思った。
変形ではなく、進化にしたのは凄い。



末端のアート関係者だが、
自分に出来る事を、一生懸命やるか、、って気には成った。



2016-05-25

線について」と、顔ばかり描くのは繋がっている。



線について」と、顔ばかり描くのは繋がっている:

手のひらを合わせると線が生まれる。
離せば消える。
この線を約束と考えた。
くっついている。
離れたくない。
ぬくもり。
寂しさ(愛という信仰を強化)という機能が生み出した技術。

「空集の音の間に線は生まれ約束に成る」に、いたる。

のちに、
「約束は景に入り太極を持って風を待つ」の、
文章が加わり、新たな感性、考え方を得る。

その結果、
手のひらを合わせると線が生まれる。
離せば消える」のではなく、広がっている。」と考えるようになる。
すると、
人は線に包まれている、コトに成る。
個がキワマリ、他者性が生まれた。
宇宙と星の関係。


顔には、目、耳、鼻、口」の7つの穴がある。
顔の中にある空間(モノ)。
五感で外部空間と繋がる空間(モノ)。
かろうじてある、輪郭(肉体や個性)。



星座の様なの関係性。
無限にある視点と繋がり。

ドローイングもペインティングも
線が持っている約束で、広がり繋がっている。



空集の音の間に線は生まれ約束に成る
約束は景に入り太極を持って風を待つ

これは心の仕事なり


うちはうち
そとはそと
のんじゃった







でもこれは、うつくしさや、アートとは関係ない。
あくまでも、私個人のテーマでしかない。
生きて行くための。


うのなとなのまにまに
せもしもしらずいのまふるふる






これに「何か」が必要。
でなければ、作品に成らない。



今年(2016)の春に、キャンバスのスタイルが確立し始める。
キャンバス制作5年目。
決め打ち」の発動条件がそろった。
伝えたいコト、画風(制作スタイル)が明確に成り、恋人つなぎに成った。
後は、「つも」と「場の流れ」しだい。
そんなわけで、ここに記す。

わら半紙のドローイングを、最近また描きだしたが、
こっちは、もう、趣味でいい。



ちなみに、

画面の上下を空けてあるのは、一本の線が全てをつなげているイメージ。
もしくは、大きな何かに包まれている。


今年の1月、美術手帳(古本)の2001年12月号を200円で買った。
その中の村上さんと奈良さんの対談があり、その中で、
奈良さんの作品はアートじゃない」って言ってる。
え!?マジ!?
あれが、違ったら、俺もうムリっす。

そう言えば、私の個展の時の文章に「独自の解釈により、、」て紹介されてたな。
海外の紹介の何かも、そんな感じだった。

もう、覚悟決めよう。
俺にアートは分からん。
ただ、理解しようと努力しよう。
日本人も、日本(文化)好きな人は嫌いにならない。


キレイ:バランス。整理整頓。
魅力的:ずらし、くずし。それらが元に戻ろうと欲望をかき立てる。
美しい:調和。それの中にある時、「ぼー」(忘我)としてしまう。我に返った時、それを起こしたモノを「美しい」と思う。
主観:キレイ<魅力的<美しい



木を観る、森を見る、輪廻。
部分と全体のループ。



平行宇宙に住んでいる。
でも、皆遭難です。

だから、約束が必要。

2016-04-21

Before-After : 悪夢の100号



Before-After / 悪夢の100号

              2016/06/01 さらに加筆
                    ↑

                                                   2016/04/18

                    ↑


                    ↑


                    ↑

                                                   2016/03/19
                    ↑


                    ↑

                                                    2015/12/01
                    ↑


                    ↑


                    ↑


                    ↑
                                                   2015/11/23
                    ↑

                                                   2015/04/15
                    ↑


                    ↑


                    ↑

                                      2015/04/01






2016-04-03

Before-After と、制作に関するメモ



Before-After


                    ↑


                    ↑


                    ↑





制作に関するメモ:


以前は、かなり使っていた色を、今はあまり使ってない。とか、
白や黒も、結局オリジナル作ってる。とか、
筆も、久しぶりに買ったけど、ハサミで調整。
こうやって、個性(縛り)が生まれる。

ここ数ヶ月(へたしたら、半年くらい)、まったく絵が完成しない。
根本に、帰ろう。

1)アート、芸術は、癒しである。

宗教(死や、罪の恐怖)から始まり、金持ちの罪悪感、自意識。
貴族の所蔵品が解放され、美術館が生まれたが、今も仕組みは変らない。
金持ちが買い、美術館で観せる。
大衆は、それに憧れる。
それぞれに、癒しを求める。

日本は、それを嫌う傾向にある。
日本は、趣味の深度。
癒しである事に変りはない。

マンガのシステムが日本に適している。
なので、せめて本屋の棚に画集。

2)楽しいから描く。

良くも悪くも、アートや芸術云々よりも、絵が好き。
絵を描く事が好き。

問題は、良い絵と、良い作品は違う。
良い絵は、気持ちを入れ、丁寧に時間をかければできる。
作品には、ルールがある。

ルールに、縛られるのは、悪い事ではない、解放した時の開放感。
自由にもルールがある。
ルールがあるから、自由が成り立つ。
自然ではない。

自分のために、楽しんで描くコト。
どんな、ルールに縛られようと、コレが無ければ、続かない。

かといって、
好き勝手に、絵を描いてると、何が言いたいのか分からない。
鑑賞者は、癒しを求めている。
納得したい。
自分だけ納得してる人を見ると、イライラする。

3)自分が観て、面白いか。

描いた直後は「面白いと思いたい」が強すぎて、
正確なジャッジができない。
でも、良いのは、最初から、「イイ」って思える。
その出会いは、めったに無い。


あの(サラッとした)感じの作品を、また観たい」ってよく言われるので、
最近は寄せて描いていた。が、上手くいかない。

加筆、失敗したら、黒で塗るの繰り返し。
どんどん、下地の流れに影響され、ドツボ。
新品(一枚だけ)で描き始めたのは、上手くいったから、加筆が良く無いって、ことだろう。
別の流れに、乗りそうに成るのを、こらえて描く。

終わりが見えない。
いっそ、流れに逆らわず、自分からそっちに行ってみる。
筆を細いのにする。
上手くいった。

ここに、この色この線、この長さって描くのではなく、
シャシャとフニャフニャと。
反射と勢い。

久しぶりに、ドーパミン祭り。
この三ヶ月、一枚も完成してなかったのに、一気に仕上げる。
調子こいて、100号のキャンンバスの加筆に、とりかかる。

こういうの、後から観るのが怖い。


顔をササッと絵を描く人は多い。
顔の立体感をドローイングの線表現で成り立たせる。
次に、輪郭と陰影は(ファッション雑誌や、写真そのまま)残して、
極彩色で、ババッとササッと。

実際、検索してみると、結構な数の人がいる。
眉下、鼻下、上唇の下、顎下のジグザグ。
鼻をいかに、立てるか。
現実的な、立体感と陰影を利用。
ここまでは、センスと、努力(やりたい事をする)で何とかなる。

こっから先が難しい。
ずれ、抜き、絵画的な表現。
ルールを知り、伝えたい何かが必要。


自己満足では無い、技術の組み合わせ、発見の面白さ。


画面の厚み(レイヤー)を出すために、以前は、「画面に直接」、切り込みを入れていたが、
「描いては紙で拭き取り、絵の具のたらし、ナイフのスクラッチ、
テクスチャー変化のためにドットを打つ」に変り、
現在は、それらを、しなくても画面が作れる様に成った。

前の方が、手間をかけてる感じはある。