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妻が撮影した(私の)写真が「別人のよう」と言われる。モノコトは鑑賞者(観測者)によって変化する。それは写真も同じ。妻には「こう」見える、だから写真に映る。これが写真の怖さ、正直さ、残酷さで美しい。あなたに世界はどう見える!?、どう見たい!?と常に問われる。常に世界に試されている。
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妻が撮影した(私の)写真が「別人のよう」と言われる。モノコトは鑑賞者(観測者)によって変化する。それは写真も同じ。妻には「こう」見える、だから写真に映る。これが写真の怖さ、正直さ、残酷さで美しい。あなたに世界はどう見える!?、どう見たい!?と常に問われる。常に世界に試されている。
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写真って何なんだ、答えが欲しい。泣きそうになりながらシャッター切ってる自分がいる。絵は自分と向き合えばよかった、辛かったし時間かかったけど、光が導いた。写真はない。無いというか、光に包まれている。絵は、自分との対話があったからか。だから写真は目的やコンセプトが必要なのか。
何を本当は撮影したいのか、理解するにはカメラを持たずに、風景の海に飛び込むしか無いのか。この沼はヤバイ。そもそも、ツイッターやインスタに写真あげても反応薄いんだから、その辺はいつも通り、どうでもいい。自分なりの答えが欲しいだけだ。カメラ調子悪いから、故障すれば止める理由にはなる。
あぁ、もぅ、ただ撮るコトがこんなに難しい。いや、撮った後のコト考えてるからだ。撮った後のことを(目標やコンセプト)考えて撮る方法では無い。私はそれ考えなくていい。まず撮影し、後のことは見せる時だ。悩んでるのは、見せたいからだ。
なぜ見せたいのか、何を見せたいのか、は後で考えればいい。撮影してるときは考えなくていい。ただ撮ればいい。半分納得。後半分だ。
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<メモ>
artrφn(アートロン):(自己)表現の核 =
心の食(事)+
旨味の塊+
自産自消芸術+
ウルトラローカルアート+
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Faust in Marienbad by the Room 0:00:00
Faust in Marienbad by the Alterity at the End of the Pursuit of Individuality, and the Landscape Beyond, 2022
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FAUST IN MARIENBAD by the Room 0:00:00 in Milano
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ブルーピリオドのノーマークス篇が終わった。まあ、ガチでコレクティブに関わると、そのまんま、技術も経済もプロに直結してしまうから、学生である主人公がその範疇を越えない学びで離れることが決まっていたのかも知れない。そういう意味では、ベタではあるが、誰もが納得の締めくくり。
コレクティブは本当にいろんな種類が存在する。ギャラリーもそうだけど。国内向け、海外向けから始まって、デザインより、アートより、町おこしより、世界標準より色々ある。その中で主人公の”ある”学びのために、必要な既存のコレクティブを合成したノーマークスという集団キャラクター。
間違ってるのは、教師や学校じゃないのか!?」に対する答えがあったかは???な部分もあるが、家族と宗教。信じるコトとは。など、ハウルの映画やLGBTQシンギュラリティの先の家族とは、宗教とは、信じるコトとは、、と改めて考えないと。変化し続けるコトだから、それも踏まえて。
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ファストアート
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