2021-12-07

最近の写真撮影のメモ2021-2022

 

最近の写真撮影のメモ:

スナップ(風景)写真は、現代性(今の道徳観)をリアルに表現できる。

・子供を撮影しない。

・人物の正面から撮影しない。

・車のナンバーを撮影しない。

・家を覗くような行為で撮影しない。

・洗濯物などプライベートなモノは撮影しない。

など、気をつけて撮影しているが、今の時代の道徳観(個人情報の漏洩を防ぐ)による輪郭(枠組み)が出来上がることになる。石巻は、若干観光地に成ってるので、カメラを持ってる人を見かけるが、それでも不審者の目で見られる。それが、素直に現れる表現がスナップ(風景)写真。(「スナップ写真in風景写真」なのか逆なのか、別物か理解してないが、、、)

写真のポートレートなどで、人物の特定をあえて出来ないような作品が多く成ってるのも、そう言った問題提起だろう。


もう一つは、

ペインティングでは、顔が風景に見えたので、顔を風景のように描いているが、最近は風景を見てると、電柱が人に見え出しり、写真の人物が電柱に見え始めたりしている。


(2021/12/06)











写真と絵画についての考察:

・絵画は自分(内宇宙)と向き合うために、写真は他者(外宇宙)と向き合うため。

・写真は発見で、絵画は創造とは、よく言われる。

・どうして有名な写真家のポートレートは結局(良いのは)親族なのか。

・宇宙誕生からの偶然の先端がそこにあり、同じ様に存在してる(私)が「交差する奇跡」を結ぶ(絞る)。

・ピント(絞り)は関係性のビックバン宇宙(空間、時間)を作り「言葉(意味)」を生む。

・内宇宙と外宇宙を結び絞るフォーカス(ただし結局は一つの場所<地球、宇宙>の出来事)。

・アノニマスと否存在

・五感の何処を使い何処を削るのか

・窓と鏡、箱の内部外部

・メメントモリ

2022/01/23

・愛おしさ、向き合い方、広がり方。

・瞬間の永遠(ZONE)=行き着く所は「フリーズ」

2022/01/31

・結局、愛で、捉え方や向き合い方に尽きる。愛と向き合う為に何をするか、何か(作品)と向き合う為に愛を使うか。

・色んなモノの統合が「愛」で、そのチューニングが個性。

・愛(の写真)は光だから色んな要素を混ぜるほど透明に吟醸酒のように心地よい。それは、「作品」のように目標や目的は無いし、一枚(作品)では分かりにくい。

2022/02/02

解った気になっているが何も解ってない。常に途中の先端。始終。体に馴染ませ、考えずに動く。

愛は調理機材でも食材でも調理方法でも無い心構え、ベースにすぎない。

2022/02/04









最近、映画、ドラマ、小説などで、「孤高と孤独」がよく目に留まった。妻が出会った頃からずっと「あなたと居ても寂しい」と言ってたが意味がわからなかった。これ以上どうすれば!」と逆ギレ。53になった。少し意味が理解できた。遅い、あまりにも遅い、が、始めようと思う。


孤高は小さな部屋を持ってる。誰もそこに入れない。下手すると「孤高のウエットスーツ」着てる。鎧と言ってもいい。皆んなそんなもんだと思ってた。妻の部屋に入っても私は孤高の鎧を着ていた。それは寂しいな。果たして私は残り少ない人生で鎧を脱ぐことができるのか。人は良くも悪くも変化し続ける。


孤高の鎧は強い。勝ち負けでは無いから強い。小乗仏教の成れの果てかもしれない。一人でもさみしく無い。学生の時、皆に無視されても気付かなかったくらいだ。「お前、なんで普通に接してくるんだ!」と諦めたくらい強い鎧。上半身だけでも脱いでみる練習してみようか。極寒だろうけど。


これに気づけたのも妻と写真のおかげ。

どうも私は輪郭の中にしか意識が向いてなかった。ってことで、これからは輪郭の外を意識する。

(2022/01/24)

写真って結局、愛で、捉え方や向き合い方に尽きる。愛と向き合う為に何をするか、何か(作品)と向き合う為に愛を使うか。愛は調理機材でも食材でも調理方法でも無い心構え。愛(の写真)は光だから色んな要素を混ぜるほど透明に吟醸酒のように心地よい。愛は時間や空間を超越する。それは脳の活動(産物)で、覚醒して全てが繋がり同時に存在するなら処理する必要もない。

(2022/02/04)

捉え方や向き合い方に尽きる。調理機材、方法、食材でも無い心構え。光だから色んな要素を混ぜるほど透明に吟醸酒の様に心地よい。宇宙誕生からの偶然の先端と同じ様に存在してる私が「交差する奇跡」を絞る。絞りは関係性圧縮した宇X宙。時間空間超越し全て繋がり同時存在。猫の瞳に映る小さな揺らぎ。色、構図、キャラ、文脈でも無い愛。

(2021/02/08)


写真集:

William Eggleston's Guide、

william eggleston portraits、

Araki. 40th Ed.、

Wolfgang Tillmans. four books. 40th Ed.、

奈良原 一高 王国 Domains、

Stephen Shore: Uncommon Places: The Complete Works

最終的に、この6冊。

半年前から毎日朝(90分)見ている。

勉強というよりインストール。

身体に覚えさせる。



写真を始めるきっかけになった網地島のテキスト:

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網地島。


一人海辺で佇んでると、ひと波ごとに自分や家族が薄れていく。

このまま居ると全て忘れそうで怖くなり立ち去る。


森に入ると、五感が開き島が流れ込んでくる。

島に取り込まれる恐怖を覚え足早に成る。

舗装された道に安堵する。


この島には川が無い。

ゆく川の流れが無い。

知ってる(美)意識が通用しない。

波が写真のように(ある)時間の幅を永遠に繰り返す。

誰もが浦島太郎(時間漂流)になり得る場所。


この島には過去と未来は無く「いま」と言う広がりが「ただ」「ある」。


私たちは、(川のように)あらゆるモノ(コト)に流れがあり物語が生まれる(可能性がある)と思っている。ゆえに並行世界の存在に行き着いてしまった。しかし、そんなモノ(コト)は無いと考える。一神教や一点透視図法によって、脳(人)は生きるために物語(始まりと終わり)を望むように組み替えられた。そして、私たちは他者を理解し合うことを目標や善としていて、それをより繋げ広げようとしている。しかし、私はこう思う。人は「お互いに理解し合わなくていいように、自分のままでいられるように」繋がり広がっている。そう、モノコトに起承転結は無くただ「今」があることを愛する。結論を求めず、関係性を愛し、広がったり縮んだりする揺らぎのある「朦朧とした輪郭」を意識する。宇宙と空のように、空と海のように。私たちは、ただ「ある」だけで、自分自身で「あり」、他(者)と繋がり広がっている。


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FAUST IN MARIENBAD by 網地島

<個の追求の果てにある他者性と、その奥にある風景。>2021

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自由にはルールがある。

写真で言えばフレームがルール。

ルールがあることで自由を獲得できる。

では、自由とは何か。

そのモノの過去と未来をその場所で同時に抱きしめる。

フォーカス、絞りと言っても良い。

フレームの中の時間と空間を解放する。

吟醸酒の様な舌触り喉ごし、酔を目で味わう。

これが今の私の写真の向き合い方。

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写真と絵画は同じ様に見えるがマンガは違う。

マンガは積極的に画面の中に風景や社会とは違う自分の心を描ける。

自分の中の世界を描ける。

私は自分の心の拡張のために写真を使っているのかもしれない。


2022/03/10



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