+
めも>
時間について:
ネットの普及によって、テレビの見る時間の解放がまずあった。次の段階が見る速度の解放。見る速度の話ばかりで、画面サイズや、音響設備についての差については無視している。どういうことかと言えば、「早送り」はダメだけど、通常速度でみれば解像度や画面サイズ、音響設備のランクを落として携帯で見ても良いってこと!?
何が言いたかったのか!って言えば、例えば、読書にとって速読ってどうなの?。マンガ読む時のスピードってどうなの!?。これね!、映像が時間の束縛から解放されたんだよね!。これは凄いコト。鑑賞者側からも制作者側からも時間が解放された。
映画の倍速はダメ!って人も、他のジャンル(音楽、読書、食事)は、ながらが多いと思う。私も流石に倍速で映画見たコトない。そんな集中力ない。できるならして見たいので、これから訓練はしていく。ずっと映画(の内容)の話はしてなくて映像作品の可能性の話し(と、脳内の処理速度と時間の関係)。
逆に言えば、映画館での映画鑑賞はすごい体験にだと思う。完全に鑑賞者の時間と五感をコントロールできる。まあ、そもそも、鑑賞者の蓄積情報と情報処理能力しだいだと思うんだけど。私は崖から落ちてゾーンに入ったことがあるからわかるんだけど、倍速で見ても集中力あったらスローで見えちゃうと思うんだ。後「時間」は唯一無二の平等である信仰が強いのかも知れない。
>
今までキワマリ荘作っては自分が邪魔になって譲る様な、私がその場所から消えて「そこ」が完成する様な自分を消すコトを繰り返していて、最近は自覚的に私が死んで完成する世界(私の作品)を作っている。で、これは私が、いつかは死ぬわけだから、それまでに世界に必要なエレメントを作って行くスタイルに成っているのだが最近、それは安易な考えで、生きながら消えることはできないのか?と考えるように成った。
その鍵として、死ぬ前に映像作品を一本作りたいと思っていて、それは時間と空間に関する作品。最近の連ツイに関係するんだけど、何年も確信が掴めそうで掴めない。二十年くらい前にスキーで崖から落ちてゾーンに入ったコトがあって、それ以来、時間の考え方(捉え方)が変わってしまった。
風景をトリミングした時に起こるコト(時間と空間:宇と宙)。
時間表現はどうしても長さになる。
ただこれもゾーンに入ったコトがあるからゆえの理解のされなさが出てくるかも知れない。が、映像作品を作るコトで、自分を消すことはできないのか!?と、隙あれば考えている。
倍速で映像みるとか、複数の記事があり、シンクロニシティーで世界中に起こっている現象だから今後色々なその関連の記述を読むことになるとは思う。楽しみだ。
>
人間の体内時間は24時間10分だという。時間の認識は脳の処理速度と関係している。それは私がスキー場の崖から落ちてゾーン(私の場合は白黒のスローモーション)に入ったことがあるから事実として言える。と、いうことは、人間の一人一人が感じている時間の流れは違うかもしれない。そもそも今映像を見ている時間の流れや、時計のスピードは与えられたモノだ。常識という鎖だ。ルールがあると言うことは、そこに入る(対応する)人が多いってことだが、全てではないはずだ。一人一人自分にあった時間軸やスピードがあるはず。
+