2019-04-09

アーティストと言われて50歳になった。



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アーティストと言われて50歳になった。貯金は2万2千円しかない。
ユニクロで全身揃えた人が金持ちに見える。なぜこうなった。問題は「作品が売れないのに、続けている」ことだろう。「作品が評価されてないのに、生き残っている」ことだろう。

思い返せば、名古屋にいた頃は、関係者の方から、そんな作品、家で友達に見せてろ!とか、君の作品はアートじゃない」とか、君を評価することは、自己否定につながる」とか散々だった。今では考えられないことだが「アニメやマンガの影響を語る」コトもその一つだった。

1993当時の作品: https://kaoruarima5.wixsite.com/mysite/1994



こんなだから自分でスペース作って自分を押し上げる作戦にでる。それがウケた。その結果、ギャラリー関係者や美術館関係者に不信感を強く持つようになった。この鎖は行動や表現の爆発的な源ではあったが、行動を束縛する輪郭を描いていた。結果失速。物事は人間関係(環境)で全て決まる。

何が言いたいかといえば、絵画の登竜門VOCAに出品できなかったし、名古屋で定期的に開催されていた地元作家の選抜展にも選ばれなかった。当然、賞なんて無縁だ。実は、現在開催中のアイチアートクロニクル展で初めて公立の学芸員さんに作品を展示してもらった。私は今50歳である。

<よくSNSで何千、何万のフォロワーがいるのに、私は嫌われている!、私は認められてない!僕は僕だ!。みたいな人をみる。散々国内(や海外)の美術館で展示してるのに。私からしたら「どう言うこと!?人気者じゃん!!」ってなる。日本人の特性なのかな?>

にも関わらず、なぜ残っているのか。絵描きとしては完全に食えてない。先日、2年半ぶりに8万円振り込まれた。ギャラリー運営やキュレーションで生きるための最低限は稼いでいる。よって、間違いなく絵描きではないだろう。キワマリ荘をプロジェクトと考えればアーティストではあるのか!?

トラウマの発動よって「公」ではなく「私」の関係を重要視してきた。器が小さい事はなんとなくわかっていた。持って生まれた器の大きさを嘆いてもしょうがない。細く長くだと生きてきた。その点では上手くいってる。つづく


定期的に「いつになったら普通に暮らせるの!」と最愛の人に泣かれたりする。「3年待ってくれ!」も2回使った。30歳の時、40歳まで続けてれば、なんとかなってると思った。50になっても何にもなってねえ!。27歳で脱サラしてキワマリ荘、諸事情で5年前に一年間だけ警備員したな。

本当にどうやって続けてきたんだろう。売れない作品を展示してくれるギャラリーには感謝しかない。海外にもそんな方達がいるから運が悪いわけではないんだろう。ドジっ子のダークファンタジーかな。でも、選んで望んで進んでるから、個人的には幸せではある。

常に自分の立ち位置は確認している。日本や世界で自分が今どの辺りにいるのか、どんな立場にいるのか、自分なりにチェックは怠らない。自分の価値観を疑いながら新しい価値を覗いて行く。自己批評性があるのかな。それは「自分を信じてない」強みだ。

10年やれば、全てなんとかなる」と思っていた。40歳の時に、ペインティングを始めたのは妻に絵で稼いで!といわれたからだ。俺なら5年でなんとかなるな!と思って始めたんだけど「無理」だった。正直言ってショックだった。彫刻の方が評判いいし。理由を考える、、。

ペインティング作品(国内、海外展示):


みんなが部屋に飾りたい(キレイ、カワイイ、カッコイイ、シアワセ)などを感じなくてはダメだ。それは、皆の意識の少し先を表現しなくてはいけない。と言う事は、共通の幻想美意識が必要。私が繰り出す共通美意識はとてつもなくニッチなのだ。と言う事は、

ある程度シアワセに暮らしている人の観る共同幻想の先の美意識が必要になる。健康でオシャレな絵はそう言う環境で育たないと無理だ。もしくは、たまたまそう言う個性だった。それは、努力で手に入れられるモノではない。そして悟る。売れる絵は諦めよう。

次の選択は悪あがきだ。「残るために」何をするか、「時代」で残るか「個性」で残るか。「時代」は運がいる。「個性」は持久戦だ。ーーーーーこれは、真剣に美術の勉強をした人間の考え方ではない。別の何かだと思う。勉強してれば、別の公式があるはずだ。それは、なんとなくわかる。


とはいえ、なぜか最初から自分の作品に圧倒的な自信があって、周りから「謎の自信」と言われてた。理由は、作品に嘘がないから、リアルなのだ。これには問題もある、そのリアルは自分にとってであって他者にとっては別。最初はこれが解らなくて「どうして伝わらないんだろう?理解してもらえないんだろう?と思案した。

表現の湧き水は「トラウマ」だったから、当然その気持ちがわかるのは同じトラウマを抱えてる人たち。どんだけニッチなんだ。しかし私は、突き進んだ。そんな時ある発見に目覚める「個の追求の果てにある他者性」だ。それはそうだ、どんな人にも個性はあるし、社会とつながっている。

個の追求の先に社会や世界や自然との接点がある。私は一つの出力装置でしかない。情報の偏りが個性と言えるし、それは環境で決まる。結論としては、それなりに幸せで、退屈しない時間を過ごしてきた。

次のリボーンアートもやりたいことが出来る。あの「たなか亜希夫」さんと展示できる。キワマリ荘は、たなかさんの「迷走王ボーダー」に多大なる影響を受けている。石巻のキワマリ荘の大家さんに会いに行ったら、たなかさんが呑んでいた。大家さんと友達(同級生)らしい。


生きてれば、すごい出会いがあるんだなと思う日々がある。この年になって、色んな挑戦ができる。不安で吐きそうになったりもするし、いっぱい叱られるけど(笑)。私はグランドの隅でいつも素振りをしてるだけの人になる。鑑賞者が勝手に意味(理由)を見つけるまで。さて、

ここまで読んでくれた人の中に、「貧しくて、評価がないから」不幸だ。その不幸を嘆いていると、思ってる人もいるだろう。残念ですが違います。私狂ってるんで、この状態が意外に幸せなんです。27までサラリーマンしてたので、あの辛さを考えるとね。幸福度って所有の量で決まらないから。だが、


「お前、奥さんのことはどう考えてるんだ!」これに気づいた人エライ!!。そう問題はこれなんです。はたして私は、人生が終えるまでに、妻(他者)に「幸せを」プレゼントできるのか。乞うご期待。(終)




以前妻に「いつまでも、おごられてばっかりになるな、悔しくないのか!?、立場を変えたいとは思わないのか!?そんなだから、いつまでも状況が変わらないんだ!と言われた。確かにその通りだ。が、心が動かない。ただ、そういう場に行かなくなった。

貧乏設定は楽なんだよね。みんなが色々くれるから。ただ、なんでも貰うと勘違いしてクソダサい衣類や腐った食い物を持ち込んでくる人がいるが、断れない。まあ、こういった技術は結婚したことで封印。

でもま、、そろそろ金の巡りが良くなっても良い頃ではないのかい!?とは思う。別に多くを望んでるわけではないし。




ドラマ「新しい王様」で「公園でマスクを被った男が何か言っても誰も信じないだろ、SNSは皆んなが信じるんだよ!」ってセリフがあった。人は何を信じたいのだろう。