2019-03-07

ずっと「何」かになりたくて、「何」のまま。




「最近、絵も描いてないし、あなたは何になりたいの!?」と言われた。「俺もう50だよ!。そんなコト言うなよ!!」。はあ、ずっと「何」かになりたくて、「何」のまま。ーーーちょっと、イラっとしたので、粘土いじろ。

振り返れば、言文一致ならぬ、言画一致(思画一致)の文人画に憧れ、その結果がドローイングになっていった。今、「思彫一致」に興味津々。若い頃から心は手の中に収まる大きさだと感じてるので卒展で茶碗を製作していたけども、今は顔。顔は面白い。輪郭のある風景。

若い頃みたいに製作意欲なんて湧いてこない。「誰かの為に」しか製作意欲がわかない。誰にも望まれてない作品を製作するモチベーションはもう無い。結果製作しない。今、望まれてるコトも嫌いじゃないし、やったコトない事にその都度向き合うからドキドキする。退屈はしてない。





愛知県美術館リニューアル・オープン記念 全館コレクション企画 アイチアートクロニクル1919-2019」に(  https://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/000016.html?fbclid=IwAR2zo4gQwT4-cr7X_3bgsNarVS1DKad6ETN4SjHwXCW9AtEWtJb0sH2xIDg  )
 Finnegans Wake series (1996)が出品予定です。

この Finnegans Wake series (1996)ですが、完成した後、ほぼ誰の目にも触れず岩田さん(キワマリ荘/犬山の大家)に渡ったので、初展示になります。マイクロポップの本に6点ほど画像が載ってますが、この作品は一冊の本で、バラしてません。なので、見れる絵は一点かもしれません。どれを見開いて置くのか楽しみです。

 Finnegans Wake series ですが、実は一部ここで見れます→ http://arimafinneganswake.tumblr.com/archive  :これは当時、日記のように毎日1ページと描いてた作品。初公開、初展示、乞うご期待!!。

この作品、1ページだけ破れています。それを見た岩田さんが理由を聞いてきた。「1枚くらい破れてた方が面白いと思って。」「そうか、失敗を隠す為に破ったわけでは無いんだね。ならいい。」危なかった!実は失敗してた。「破っても面白い、と思ったのは事実だけど」
失敗を恐れるな、失敗も失敗として残せ、失敗しないようにイメージを捕まえろ、などなど、この件から色々な覚悟を学んだ。当時27歳(23年前)。




男らしさ、女らしさ。今から30年前の学生の頃はすでに女性が強かった。いや、私が弱くて、「男らしさ」を強要されたから「男ってそもそも弱いよ」「弱くてイイんだよ」「私は弱い」って主張するような作品を作ってきた。そのためか(名前も手伝って)ほぼ「女性が描いている」と思われていた。

当時、男らしさ」って強がりと解釈。何かあった時、女性の前に出るような。ドラマとかで女性の後ろに隠れる男性を「卑怯、男のくせに」て笑うでしょ。逆ならどう。結果、その美意識って持ってないモノコトをやろうとするからカッコイイ、カワイイってなる。となると、本来の性としての才能は逆になる。

今や、メンタルの弱い女性を見ると「男か!!」って思う。男は母系社会だった時に、よっぽど嫌な目にあったんだろうか。バランスって大事。最後の母系社会 :