2016-02-29

観る。: めめめのくらげ、20世紀ノスタルジア、他、


めめめのくらげ(2013):20世紀ノスタルジア(1997):他、観る。


めめめのくらげ(2013):
キャラが、フレンドって名前で、オトナにも見える。
キャラの栄養が、子供の恐怖、不安、怒り(だったかな?)、絶対に裏切らない友達。
だから、ホントの友達がいらない。

最初、子供達は、フレンド(恐怖、不安、怒り)をオトナに隠してる。
でも、最後に、より大きな不安や恐怖に、「みんな」で立ち向かって行く。
そして、すべてのフレンドと共に、敵が消滅。
でも実は、、、、(まあ、不安や恐怖は無くならないから、、)。
泣く人がいるのは、分かる。

あと、カルト教団のあり方がいい。
実は、彼らが言ってる事が「本当」なんです。
これ、柏がホットスポットに成った時、
あるお母さんが、本当の事言ってるのに、カルト扱いされたコト思い出す。

レイヤーの一つ一つは、練り込んであって面白い。
キャラの栄養が「子供の、、」なので、
設定的に「3」にその「別れ」が来ると思うが、これ観てみたい。って、
思うくらいの映画。

が、
それらを吹っ飛ばすくらい、
雑音?レイヤー?が多すぎる。
こんなにギャップのある映画は見た事無い。

これが、映画製作2、3本目だったら、、、て考えると、
めめめのくらげ2、3の期待は大きい。


好きな所、
CG(キャラ)と実写の融合、違和感無い、コレ凄い。
キャスティング。
ベースのストーリー。

子供と、キャラの出てる、教室のシーンとか、ワクワクした。
終盤のキャラ同士の対決とか、普通にカッコいい。


気になった、
意味不明なセリフ、場面あり過ぎ。
レイヤー(ネタ)あり過ぎ。
研究所のシーン酷い。
キャスティングが良いから、一応観てられるけど。


あのキャラをカワイイと思えるかで、評価が激変する。
カワイイと、思えれば、多少ストーリーの流れに難があったとしても、楽しく観れる。
カワイイと思えなければ、意味不明な、映像、セリフに引っかかり、前に進めない。

例えば、
主人公のキャラがカンフーを使う。
二人が出会って、すぐ裏山の神社で、カンフーごっこで遊ぶ。
次の日(?)学校で、キャラ同士の対決で、カンフー使って戦う。
????。
え!?あれで、カンフー使える様に成るの!?
嘘でしょ!?
もしかして、最初から知ってた!?
と、思ってたら、研究所のシーンで、暗がりにカンフー映画のDVDが、映ったりする。
あ、そうなんだね、やっぱり。
だとしても、良く分からないんだけど、、、

もぐらの家」(施設)の看板が、さらっと映るだけとか。
結構重要なシーンを1、2秒。それも流しで撮影。
といった、シーンを見逃してしまい、さらに、進めない。

イジメのリーダーが、父親から暴力を日常的に受けている。
でも、これ、DVDの解説観て分かった。
その子、イジメがばれて、父親に2回殴られる。
このシーンだけでは、無理でしょ。
だって、ここ、普通に、たたく人いるでしょ。
暴力を振るう理由もあるし。

終盤、研究所が破壊されて、崩壊しかかってる場所に、
少年一人残して、プログラム組め、とか、いや、2次災害が、、、とか、
主人公が女の子助けに行くとき、キャラが変形して、一緒に飛んで行くんだけど、
キャラだけで、よくね?もし、主人公が必要なら、キャラ無しで、女子に飛びつくシーンがあって、
それを、フォローする形で、キャラが変形するよね、とか。

数え上げたらきりがないほど。
キルビルで、主人公がカタナ持って飛行機乗ってるのは、笑えるんだけど。
そういうのと、違う。


絵画を制作するみたいに、映画を作った。

完成された、絵があって、そこまでのつじつまは、どうでもいい。

映画は、話が流れるから、うまくネタをつないで行かなくては行けない。
映像とキャンバスの目の動きの違い。
実写に色が足りないとき、周囲との関係性が自然な物を置く必要がある。

2、3の出来次第で、1の見方が、好意的になるかもしれない。


20世紀ノスタルジア(1997):
ダメな人は、最初のミュージカルで、観るのやめるだろう。
そこを、こらえる、もしくは、早送りする。

よく言われるのが、普通のアイドル映画ではない。」ってこと。
ヒロインではあるが、彼女は主人公ではない。

夏休み、
彼女は橋の上で、「電波系の少年」に声をかけられる。
当時、そんな言葉は無い、イタい」も無い。
少年が「私は宇宙人だ、、、、」みたいな事を言い出す。

で、地球の色んなモノを星に報告するという。
彼女は、それを手伝う。
端から見ると「デート」。

夏休みの終わり、彼は急に海外(父の所)に行く事にする。
そして、二学期が始まる。

映画は、ここから始まる。
事故で、夏休みに撮りためていた映像が校内に流れる。
色々あって、映像をつないで一本の映画にする事になる。

映画の中で、映画を作る話し。

彼女は、彼の撮影した映像(ビデオカメラ)を観ながら、
夏休み、彼と行った場所をまわる。
ビデオカメラに映る風景、そこに立ち、彼を思う。

編集の終わりが近づいて来た時に、彼女は気づく。
彼は、本気っだったのか!

映像に頻繁に出て来る言葉、
眠らない都市、ニューロンばちばち、このままでは、地球滅亡。
全部、彼自身の事だった。

このままでは、映画が終われない。
そこで、滅亡は回避された。」と言うメッセージの映像を撮影する。
できあがった映像を彼にも、送る。
そして、彼は彼女のもとへ。

そう、彼女は、主人公では無く、主人公にとっての希望、
まさに、「アイドル」に成る。
そして、主人公とは、大げさに言えば、人類。

こんな、本当の意味でのアイドル映画観た事無い。


この映画は、好きなシーンが凄くある。
なので、時々観たくなる。

工事現場の電源から、電源をとる、コンセントが映る。
コンセントが抜ける、砂嵐(画面)、コンセント映る、抜ける、砂嵐、、、。
このシーン目頭熱くなる。

朝日の空に、二人で文字を書くシーンとかも好き。



夏休み(ブレイク前)と二学期(ブレイク後)で、金の掛け方が全然違うのが面白い。
夏休みのシーンなんて、シャツにガムテープで背番号貼ってあるレベルで、自主制作感バリバリなのに、
二学期からの映像、髪型から衣装まで、オシャレ。
この、ギャップがいい感じ。


あと、声の演技が下手すぎる感じは、しますが、始めに戻ると、これ、
高校生の自主制作映画という形をとっているので、「あり」というか、わざとだと思う。
普段のシーンは問題ないので。
なので、ミュージカルのシーンも「あり」になる。
女子の初恋の感じにも、あっている。
観てるのは、正直キツいが。


後、大切なのは、家庭環境。
彼女の家は親が離婚している(当時はまだ、珍しい)。
彼の家は、離婚はしてないが、父親が海外。
二人は、両親の間を行ったり来たり。
戻るべき場所が、ひとつではない。

あの、おかしな彼に惹かれる理由。


今では、分かりにくいけど、
ノストラダムス、
1999年7月で、人類終わります。
黙示録来ます、感って凄かった、なぁ。


エル・スール(ビクトル・エリセ監督):
ローソクの炎、うつくしい、ミツバチのささやき」よりも好き。
字幕が邪魔だ、こういう映画こそ、吹き替えてほしい。

叫びとささやき(イングマール・ベルイマン監督):
何コレ、凄い。
何だこの映像。
すべてのシーンをスチールにして売れる。
野いちご」は、この監督だったのか。


アンダーグラウンド(エミール・クストリッツァ監督):
ユーゴスラビアの話。ググって勉強。
黒猫白猫」も観る、この監督の作品、じわじわ来る。
アンダーグラウンドまた、観たくなって来た。
オープニングの音楽がずっと頭の中で鳴っている。


山椒大夫」、西鶴一代女」、歌麿をめぐる五人の女」、
祇園の姉妹」、祇園囃子」、赤線地帯」(溝口健二監督):
戦前の溝口健二は徹底的に「女は男に従属する生き方をする」。
男次第で、幸不幸がシーソーの様に変る。
そう言う時代だったし、それを信じていた。
戦後、価値観が逆転して、歌麿をめぐる五人の女」では、
その迷いが出てる、と、特典映像で言ってたな。
当時の祇園の様子とか、勉強に成る。
ググって調べたけど、流石に今とは状況違うみたい。