2016-04-03

Before-After と、制作に関するメモ



Before-After


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制作に関するメモ:


以前は、かなり使っていた色を、今はあまり使ってない。とか、
白や黒も、結局オリジナル作ってる。とか、
筆も、久しぶりに買ったけど、ハサミで調整。
こうやって、個性(縛り)が生まれる。

ここ数ヶ月(へたしたら、半年くらい)、まったく絵が完成しない。
根本に、帰ろう。

1)アート、芸術は、癒しである。

宗教(死や、罪の恐怖)から始まり、金持ちの罪悪感、自意識。
貴族の所蔵品が解放され、美術館が生まれたが、今も仕組みは変らない。
金持ちが買い、美術館で観せる。
大衆は、それに憧れる。
それぞれに、癒しを求める。

日本は、それを嫌う傾向にある。
日本は、趣味の深度。
癒しである事に変りはない。

マンガのシステムが日本に適している。
なので、せめて本屋の棚に画集。

2)楽しいから描く。

良くも悪くも、アートや芸術云々よりも、絵が好き。
絵を描く事が好き。

問題は、良い絵と、良い作品は違う。
良い絵は、気持ちを入れ、丁寧に時間をかければできる。
作品には、ルールがある。

ルールに、縛られるのは、悪い事ではない、解放した時の開放感。
自由にもルールがある。
ルールがあるから、自由が成り立つ。
自然ではない。

自分のために、楽しんで描くコト。
どんな、ルールに縛られようと、コレが無ければ、続かない。

かといって、
好き勝手に、絵を描いてると、何が言いたいのか分からない。
鑑賞者は、癒しを求めている。
納得したい。
自分だけ納得してる人を見ると、イライラする。

3)自分が観て、面白いか。

描いた直後は「面白いと思いたい」が強すぎて、
正確なジャッジができない。
でも、良いのは、最初から、「イイ」って思える。
その出会いは、めったに無い。


あの(サラッとした)感じの作品を、また観たい」ってよく言われるので、
最近は寄せて描いていた。が、上手くいかない。

加筆、失敗したら、黒で塗るの繰り返し。
どんどん、下地の流れに影響され、ドツボ。
新品(一枚だけ)で描き始めたのは、上手くいったから、加筆が良く無いって、ことだろう。
別の流れに、乗りそうに成るのを、こらえて描く。

終わりが見えない。
いっそ、流れに逆らわず、自分からそっちに行ってみる。
筆を細いのにする。
上手くいった。

ここに、この色この線、この長さって描くのではなく、
シャシャとフニャフニャと。
反射と勢い。

久しぶりに、ドーパミン祭り。
この三ヶ月、一枚も完成してなかったのに、一気に仕上げる。
調子こいて、100号のキャンンバスの加筆に、とりかかる。

こういうの、後から観るのが怖い。


顔をササッと絵を描く人は多い。
顔の立体感をドローイングの線表現で成り立たせる。
次に、輪郭と陰影は(ファッション雑誌や、写真そのまま)残して、
極彩色で、ババッとササッと。

実際、検索してみると、結構な数の人がいる。
眉下、鼻下、上唇の下、顎下のジグザグ。
鼻をいかに、立てるか。
現実的な、立体感と陰影を利用。
ここまでは、センスと、努力(やりたい事をする)で何とかなる。

こっから先が難しい。
ずれ、抜き、絵画的な表現。
ルールを知り、伝えたい何かが必要。


自己満足では無い、技術の組み合わせ、発見の面白さ。


画面の厚み(レイヤー)を出すために、以前は、「画面に直接」、切り込みを入れていたが、
「描いては紙で拭き取り、絵の具のたらし、ナイフのスクラッチ、
テクスチャー変化のためにドットを打つ」に変り、
現在は、それらを、しなくても画面が作れる様に成った。

前の方が、手間をかけてる感じはある。