2013-10-10

作風を巡って、夫婦生活の破綻に発展しそうな、勢いに成った。


+

妻に新作を観せた。
2パターン。
一つは、ドローイングの人物。
これは、良かったのだが、、、、。

もう一つの作風を巡って、夫婦生活の破綻に発展しそうな、勢いに成った。

それには、人物が描かれて無く、
かといって、風景でもないのだが、

2、3時間の激闘だった。
私の、一番の理解者であり、支援者であると、自負している妻が、
涙ぐみ、
分からない、
一時間観ても、分からない。
と、つぶやく。

これを、理解できる人がいるなら、
その人と、一緒に成った方が、いいのでは?
と、
その落胆ぶりが想像できる。

これは、久しぶりに、
何を言われても動じない作品ができた!
と、追い打ちを、かけるように、言ったもんだから、
なおさらだ。

以前の私なら、
分からないなら、それでいい!
プイ!
だが、流石に、結婚して考え方も大人に成った。

理解してもらえないのは、
言葉が足りないからだ、

しかし、作品をうまく言葉にできない。
だが、これは、正しい、という確信がある。
ならば、それを信じ、
あきらめずに、言葉を交わすしか無い。

海外でのやりとりでも、そうだが、
英語のほとんどできない、私だが、
お互いが、あきらめなければ、必ず伝わる。
伝わらない時は、
どちらかが、あきらめた時だ。

なので、この方法は、
相手に対する信頼(縛り)がないと無理なのだが、、、。

とにかく、妻に、作品を説明する。
一番の理解者であり、支援者である人を、納得させられないようでは、
この先は、無い。

作品と私の間に、どうしようもない壁がある。
意味が分からない。
絶望。

これを美術館で観たら、
無視か、過呼吸起こす。

これは、ドローイングなの?
ペインティングなの?

これは、モノを表現してるの?
コトを表現してるの?

この作品が、誰にも受け入れられなくても平気なの!?
それ何言ってるか分かってる!?
一人でイイってことだよ。

ここで、私のいる意味って何?
って、当然の疑問として出てくる。

お前の聴いてる音楽に、全く興味をしめせないのと、同じで、
そういう部分は、あっていいし、あった方がいい。
大事なのは、お互いに観る事ができることを、作ってゆくコトだし、
選択は多い方が良いし、
何が良い、悪いでもない。

と、説教っぽくなってきて、作品と関係ない生活の話になり、
妻がイライラしだす。
まずい!

妻が、ティーブレイクを要求。
賛成。
で、

これは、ドローイングなの?

絵画でいう、ドローイングとは少し違うかもしれない。
ドローイングっていうか、
動詞って、始まりは、行為だから。
線を引く時の行為をする。
この行為から来るイメージが言葉に成ってる。
言葉にすると、バラバラになるけど、
行為からくる、イメージをそのまま作品にする。
と、訳された言葉がすべて、作品に封じ込まれる。

だから、ドローイングの始まり、というか、
元素というか、、、

ここで、妻の曇った顔に光が射した。

肉体の細胞一つ、取り出しても、
何がなんだか、分からない。

でも、それが、始まりで、それが全て。
自分でも、あ、たどり着いた!と感じた。

そんなわけで、一連の作品(シリーズ)のタイトルを、
ドローイングの元素(element of drawing)と決めた。

そして、嫁が、こんな要望をしてきた。
キャンバスに直に手で描いてみて、と。
以前の私なら、プイ!だが。

了解した。

いつやるの?って聞いてきたから、
今は、やらないよ。
描きたいのあるから、その次に描くコトに成った。


とりあえず、今回の夫婦の危機は去った。