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パフューム、きゃりーぱみゅぱみゅ、鈴木先生、と桐島、部活やめるってよ
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パフュームは、高性能のロボットに感情が芽生え、それが、押さえられない感じ。
きゃりーぱみゅぱみゅは、生身の人間なのに、言われた通りに動く。
あの、やらされ感はすごい。
この挟み込む戦略はすばらしい。
この問題は、鉄腕アトムまでさかのぼってもいい。
日本はこの問題が大好きで、
解決策(脱出案)として、映画のアキレスとカメ」の解決と同じような決着を望む。
それは、
ロボットはロボット、人間は人間、日本人は日本人、変れない。
以上も、以下も無い。
やりたいことをするだけ」
別の見方をすると、このパラドックスの答え(脱出案)を、
一つしか持っていない。
そして、その案は、日本でしか通用しない。
では、あるが、日本人は、これが大好物だ。
でもこれ、趣味と、どう区別するの?
って思ったらダメで、もうその時点で、罠にかかっている。
日本人が好きなのは、名前では無く、行為だ。
究極は、即身仏的な、何かだ。
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最近、邦画を良く観る。
洋画(映画)と違い、テレビ的(ドラマ)の延長感はある。
が、それが、悪いとも言えない。
鈴木先生に至っては、最初に11話ってでてくるし。
アニメだって、そうだし。
そう成ったのには、色々な理由があるのだろう。
お金の問題とか、、、。
その形を作ったのは、
伊丹十三だと思っていて、
タンポポ、マルサの女、スーパーの女、などなど、、。
当時は、ものすごく斬新だったし、
批判も多かった気がする。
この、洋画と邦画の関係は、日本のアートにも似ている。
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話によると、
演劇畑の人が主役をやる機会が増えてるらしい。
話題の作品は、だいたいそうらしい。
例を挙げるのが良いのだろうが、
正確なタイトル、役者名をググるのがメンドクサイ。
独白や、長セリフとか、色々あるらしいが、
アニメで言えば、
少し前のハルヒのキョン、
さらに遡れば、うる星やつら(アニメ)のメガネが、そんな感じだ。
演劇的って言うか、、、。
日本のアートもそっちに向かってるんだろうか。
もともと、そっち向きだったのかな。
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鈴木先生を観る2
下記は映画評論家の感想だ、
映画から受けた印象は同意できるが、
その解釈が全く、逆だった。
この映画は、クローズアップが、メインキャラ意外ほぼ無い。
小さな画面で見ている、私にとっては、かなりキツかった。
が、映画なら、画面大きいし、ありだった。
「周りの人を背景の書き割りのように考えてはいけない」
から、クローズアップがもっと必要。
か、だから、クローズアップをなるべく、使わない。
自分の考え方を含め、対比すると、とても面白かった。
上記の映画評論は、
クローズアップについて、詳しく説明されているので、
勉強に成った。
オープニングとエンディングで、
言いたい事、伝えてる感じがしていて、
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改めて、
桐島、部活やめるってよ」を観た。
マジックアワー。
この場所、この時、この人しか、できない事がある。
その、場所と時間と人の取り合い。
で、ラスト。
日が暮れ、照明に照らされて、練習する野球部と、
それを外から見ている、練習に出ない野球部員。
桐島への電話の音。
しみる。
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