2013-07-12

線について 2013/07/11


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線について 2013/07/11
前回は、

線の弾き方

技術面だったが、今回は、精神面。

両手を拝むように、合わせる。
手と手の間に、線が見える。

それが、私にとっての線だ。
何か、と、何かの間に見える。
重なったモノの間の、
光と影の織りなす関係。
手を離したら消えてしまう。
約束の線。

この線は、くっついてることが重要だ。
だが、ある日、
広げても、良いじゃないか、
なぜ、気づかなかったんだろ。
ずっと、
アキレスと亀を続けていたし、
それが、大切だと思っていた。
完全に、ブレイクスルーだった。
今までの達成感や、結婚も関係あるだろう。

もどす、
重ねた手を少しづつ広げてみる。
さっきまでの線は消えたが、
同時に、
別の意味を持った線が、
広がっている、とも言える。
広がりの線。

五年くらい前から、
兆候が見え始め、
それを、作品にして展示した。
ZENSHIで、展覧会したのが、そのあたりだ。
少しづつ世界は、広がって、つながってゆく。

世の中の人にとっては、
当たり前のこと、なのだが、
私には、新鮮っだった。ので、
そのまま、描いて作品にした。

なので、何を今頃って感じる人も、
いただろう。

もどす、
もう、Y字に、両手を広げてみる。
もはや、線に包まれている。
包む線。

約束の線から、包む線に成るまでには、
15年ぐらいの時間経過がある。
このことは、今までの作品に、
出てると思う。

ここまで来ると、
線の持っているイメージが、大きすぎて、
説明できない。
空間だ、愛だ、関係性だ、などと、
色々言えてしまう。

だが、たぶん、
手を合わせて、手を広げる行為に、
何を見るのかは、
その時その時で、変わるだろうし、
見た人の自由だ。

でも、それでは、
海外では通用しないので、
その都度、考えて、それなりのことを、
言うのだろう。
行為を観てもらうのが、早いのかな。

ちなみに、
顔の彫刻とか、キャンバス作品は、
手を広げた肉体自体を表現している。
顔彫刻の中は空洞。
線に包まれれいる何か。
さっきのとは、真逆の表現。
こちらは、進行形だから、まだ、
自分でも、よくわからない。



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空集の音の間に線は生まれ約束に成る
約束は景に入り太極を持って風を待つ

これは心の仕事なり

上記は私の考える線の極意。