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写楽の線 :
まず、振り返る。
6年前、ドローイングの底が見えた。
自分の思い、自己治療、内面性などを、言ってしまえば、
感情を線に込めるコト、の底だ。
20年線ばかり、引っ張って来て、
ある種の達成感が来た。
そして、まとめた。
それと、同時に、
色、空間、他者に対しての感覚が、増幅して行った。
結婚したせいも、あるだろう。
線的に、モノを見ていたのだが、
空間的にモノを見れるように成って来ていた。
そんな時、
写楽の画集をたまたま観た。
驚いたことに、
絵が、飛び出して見えた。
立体的に見えた!
もともと、写楽は、小学生の頃から好きで、
その頃、模写もしていた。
ので、
ちょくちょく、画集を見ていたのだが。
その時は、
今までとは、全く違う、絵として、そこにあった。
そこで、ハッキリわかったのは、
今までの、やり方で、この線は、弾けない!ってことっだった。
内面を追求しても、この線は弾けない。
(弾く」は、何と無くだが、あえて使う。)
そう、思った。
で、
嫁を描いたり、
自画像描いたり、
風景描いたり、
していて、
7つの焦点にたどり着く。
簡単に言えば、
空間を見るコト。
だが、道のりは長い。
写楽の線が弾けない。
それは、解らない部分があるからだ。
上記:ちょっと古いが今、これしか無かった。
試行錯誤感満載。
色々見たが、写楽の線は別格。
絵が巧くなって行くと、
ダビンチ的、マチス的、ピカソ的、のどれかになる。
途中で、エゴンシーレ的に成ったと、してもだ。
別の言い方だと、
デザイン的、写実的、内面的、と、
視覚情報を受け入れる時の解像度の大きさ。
ボールペン的と、筆的でもいい、、か、、色々あるな、、、。
ま、あと、国内だと、朦朧的に、もわもわ線もあって、
その線の使用頻度が、私は高い。
まあ、風土的なものだ。
後、関係ないけど、絵が巧く成りすぎると、
絵が止まる。固まる。
マンガでも、そう。
モチベーションより、技術が上回る。
なので、絵描きは、左で描いたり、筆の持ち方変えたり、
線の種類増やして、レイヤーを作ったりする。
止まっていた方が、伝わりやすいジャンルもある。
ん?、、、。
戻す。
何が言いたいかといえば、
内面的な線を、毎日弾っぱってるだけでは、
到達出来ない線なのだ。
眼、というか、別の感性、感覚?認識?
なんか、そんなところを、鍛えなくては、いけない。
そうこう、してたら、いつも失敗ばかりしていた、
キャンバスにも、描けるようになったが、
今までの様な理由で、
とても線的な表現に成っている。
そう、なので、内容が全く無い。
だから、作品にするために、手練手管(こんな字だったんだ!)を使う。
と、まあ、これが近況。
まだまだ、写楽の線への道は長い。
具体的に、写楽の線の何が凄いか!幾つかあるが、、、、、。
ちなみに、評価してるのは、大首絵だけです。
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