+
なぜ、キャンバスを切って、折り鶴を作ったのか。
空間とのつながり。
祈りとのつながり。
物質と祈りのつながり。
まず、何年か前から、やってること。
アーモンド型に、キャンバスを切って、それを燃やす。
それは、空気中に拡散し、空間と融合する。
切り取られた空間は、作品と繋がりつつ、無限に広がり、
一つになる。
また、聖書に出てくる、
トマスの不信心で、復活したキリストの傷口に指をいれるシーン、
にも関連づけている。
宗教は、色々あれど、信じる事の重要性は、どこも一緒だ。
平和への祈り、信じること、は共通してる。
人にとって、大切なのは、信じること。
そんなことを考え、形にした。
そもそも、私にとって、キャンバスは、
キリストの磔と、リンクしている。
木、釘、布、見られる状況。
鶴にしたのは、色々やって見た結果だ。
複雑なものは、
この折り紙凄いでしょ!っていう、技術が全面にくるので無し。
そんなことが、言いたいわけでは無い。
カブト、カエル、舟、など、色々やって見たが、
飾った時に、ペタっと成るのは避けたい。
どこかしら、本体と、繋がっていたかった。
後、
空間に飛び込む感じが欲しいし、
鶴は、祈りとの関連が深い。
アーモンド型に、カットで、十分意味付けは、
出来てるのに、なぜ、そこまでしたのか?
重力や、設置の仕方で、変化する表情。
決められた枠組みからの跳躍、新たな命。
この辺も、キリストの復活とリンクしてる。
もう一つ、いい感じのがあったが、
微妙にコンセプトがずれるのと、
今回の展示では、
鶴との相性が悪いので、止めた。
いつか、制作すると思う。
+
before
after