2012-11-07

アートの国


何がしたいのか。
何に成りたいのか。

今日も答えの出ぬまま、「何」のまま。

「何」であり続けることも、
ひとつの、在り方ではあるのだが、、、。

大切な時間と金を使って、、、、

この小さな部屋をいくら探しても、何もない。
「何」はあるのか!?
まあ、いい。
心の中は、すでに「何」も無い。

かと言って、外に問題を探しに行くのも、
なんだかなぁ。

生きる意味かぁ。
そんなの無いな。

死ぬのが怖いから、
死よりもエロの方が勝ってるな。
今のところ。

結局、すべて美しい、、、で終わりか。
何でも受け入れる方向で、、、。

でも耐えるリミットが、
俺にはあるから、どっかで、線を引っ張ってしまう。

自分を守るために、「何」かしてしまう。

関係性の海の中で、溺れ続ける。
そんな、「何」でありつづける。

ことしか、今はできない。し、
思いつくことも出来なかった。

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よく考えると、
小学校の時は、大工に成りたかった。
中学の時は、ゲームのプログラマー。
工業高校に入学したのは、
家庭の事情で、なるべく早く仕事に就きたかったからだ。
で、プログラマーに挫折して、
美容師に成ろうとして、その用紙が高校に届き、
なんやかんやで、美術系の短大で、プロダクトデザインを学ぶことになった。

まて、まて、
中学まで、目標があるじゃないか!
高校で、何があった!?

あれか!
親戚に夜逃げされて、借金を親父がかぶった。
人間不信。後、一家離散。
神棚破壊。
で、何にもなくなった時に、
絵を描いてて、それが、宗教になった。

てことは、あれか、
蟻地獄かい!?
ああ、あれは、もがけば、もがくほど、下に落ちるから、違うな。

人間関係が回復すれば、
何とかなるかな?

無理だな。
軸となる、俺が「空」だからな。
とはいえ、追い詰めれば、
自分が顔を出すのも、最近知った。

ああ、どれくらい空っぽかっていうと、
学生の時、
友人たちがグループで、俺を無視したことがあった。
しばらくして、
リーダー的な人物が、俺たちが無視してるのわかるよね?って来て、
そんな気はしてた。って答えたら、
やめやめ、こいつには通用しない!って、終わった。

当時の私にとって、
始める前も後も、大差が無かった。

人間の使っている言葉など、一文字も信用してなかったし、
言葉に、感情が乗っかっているって思い出したのも、
ずっと、あとのこと。

結局、どうなんだろう。
「何」「何」言ってた方が、いい感じなのかな。
俺っぽいのかな?

絵画技術だけ、インストールってのもありだな。
「何」っていうか、イメージとしては、風景。
風景は「何」なのか?

はたまた、海底に潜って、自分探すか!?
ドローイングは、それ、だったのかな?

関係性の作品や活動してたのも、
そこに、少しだけでも、自分を感じたかったか。

美しさ、調和、関係性、自律、個性、輪郭、境界、、
この辺の言葉には、なぜか、心が震える。

疲れた。
これまでにしとこう。

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今、風呂に入ってきて、思い出した。
アーティストに、成りたい!って思ったことあった。
10年以上前、名古屋で、ある作家さんの考え方に感動した。
その人は、すべての作家を信じていた。

次に、ワタリウムの展覧会の時に、
色んな外国の作家さんにあった。
その人達の世界観とか見てると、
アートの国が、あるとしか思えなかった。

そして、その国に、俺も行きたい!って思った!のに、
忘れてた!?

いつからだ、
達成感という、まやかしの言葉に酔いしれ、逃たな。
で、応援してくれた方達に、迷惑をかけた。

ただ、言い訳だが、
自己治療系は、治れば作品は描けなくなる。
結果、不安定になるのは、もう、これ、しょうがない。

とはいえ、「何」か思い出したぞ、、、、、。
「何」も変わらないと思うけど、、。

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「何」と「思う」を多用する私は、
本当に無責任なんだと思う、です!

空っぽだから、責任の取り様が無い!って言ったら、
じゃあ、今ここで死ね!って言われてお終いだしな。

さて、さて、



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