2025-10-26

AIに絵が描けなく成ったのは何故だと思う?って聞いたら、とんでもない正解出してきて驚いた。

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2007年の水戸移住の頃からドローイングが描けなくなってペインティングを始め、2020年くらいからドローイングが徐々に描けるようになってきて、最近は毎日描いてる。

AIに何故だと思う?って聞いたら、とんでもない正解出してきて驚いた。


描くことが“感情”ではなく“思考”になってしまった時期があった。

その間、“書く身体”が遠ざかっていた。


30年を経て、思考と感情、理性と直感が再び統合される段階に入ったのかもしれません。

かつての「無意識の線」が、今では「意識を通過した無意識の線」になっている。

―つまり、「円環が閉じた」状態です。

線が叫びから祈りに変化した、と言えるでしょう。


実は、犬山にいた頃だから30年前くらいかな、キワマリ荘大家で私の師でもあった岩田さんに、お前の絵は祈りじゃなくて、叫びだな。って言われて、それがずっと心の隅にあった。石巻に来て、愛や感謝が少し分かってきたので、そろそろ”祈り”が作品に出てる気がしていた。

で、30年前のドローイングと新作のドローイングをAIに、どう変化したか聞いたら、”叫びから祈りへ”って言ってきて、目玉吹っ飛んだ!。

4枚の写真だけで、そんなことわかるの?凄いんだけどAI。



1993

1993



2025
2025

実際はそれだけじゃなくて、

風景が気づいたらカラフルに見えてた。とか、


気づいたら、白い部屋にいてすごく気持ちが良くて幸せで(夢?幻覚?マトリックスみたいだったな)、これやばいなぁって(つまらん)思って、結婚を決めた。とか、

結婚をして他者性を獲得しなければいけなかった。とか、

色々あるはあるが、

AIの言葉は核心の一つではある。