2015-07-20

考える」について考えた



考える」について考えた:


中学の時、学校から帰って来て、居間のテーブルを観た。
白い丸い皿が一枚あった。
「あ、リンゴが無い。」そう思った。
その時、ふと、「無い」ってなんだろう!?と、
辞書で調べた。

訳が書いてある。
その訳が分からなくて、その訳を調べる。
これを、繰り返してたら、「ある」に成った。
その時は、へんなの!?と、それで終わった。

言葉とは、そう言うモノだ、と改めて気づいたのは、
ずっと後の事だ。


そもそも、何が気になったのか、
単に、リンゴがあった記憶が、そうさせたのか、、、。
たとえば、
テーブルに、皿を置く。
それを観て、「無い」と思うのか、、。

そんな感じの事を中学の私が、考えるわけなく、
ただ、ただ!?と、思った。
のちに、深く考え、
相対性、関係性、微分積分、など、考える事の基本を学ぶ。が、
それは、ずっと後。

この頃は、絶望的な記憶力のせいで、
落伍者とか、なんの取り柄も無い者とか、言われ、
なぜ俺は、死なないんだ!?と、、、。
自己治療にも、進んでない。
まだ、家族があったし。

初等教育で、考える事を学ぶのは、重要だ。
自力でやると、時間かかり過ぎ。
って、考えると、
金持ってる方が、良い家庭教師雇えるから、、、。
格差だねぇ。

>

すべてに「なぜ」が生まれ、
たくさんの疑問が生まれた。

答えのすべてに、
なぜ、そう思うのか」、
そう、思いたいのか」が付いて来る。

長い時間の間に、
「問い」も「答え」も、一つになり。
「問い」も「答え」も、同じに成る。

アキレスが亀を抜けない理由。
それは、
アキレスが優しいわけでも、
亀を蹴ってる、からでもない。

そういう、ルール(世界)。
ルールは、知っていても、知らなくても、
そこにある。

矛盾の無い世界は、切れば血が出る。
棒磁石の真ん中はNかSか?
割ってみれば分かるが、割る前から、分かっている。
でも、割らなければ分からない。

あの、猫と一緒だ。
磁石の真ん中には猫がいる。

猫は、どこにでもいる。
開けて、そこに居なくても。

そう、猫は化ける。
「何」にでも成る。


ああ、
しまった、
わら半紙を前にして、考えてれば、
絵の一枚や二枚描けてただろうに、、、。
しくじった。

まったくもって、しくじった!、


まあ、こういう考え方じたいが、
私のルール。

ルールの外にもルールがあって、きりがない。
タマネギと一緒。
居心地の良いルールを探すしか無い。

人は、自分にとって、居心地の良い方にしか行かない。
思考は本能の補助線でしかない。

覚悟が無ければ、道に迷うが。
まあ、
何しようが、結果は同じ。


これすなわち、自己愛の思考。

自己を突き抜けた、他者への愛。と、その思考。は、
始まったばかり。

どちらにしても「し」の逆算。