2013-04-24

侘び寂びは、中国の雅と、朝鮮の大衆美術のバランスから、


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侘び寂びは、中国の雅と、朝鮮の大衆美術のバランスから生まれた。
ギャップや、比較と言ってもいいし、日本の風土に合った所の良いとこ取り、でもいい。

今の日本の幼児化の美意識も、実はそれだけでは、なくて、
ちゃんと、真逆の美意識とのバランスをとっている。

多神教のせいなのか、
そのへんのセンスは、凄くいい。
日本人にしか分からないかも、しれないが、、、。
いや、そんなことはないな。

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住所の書き方が、
日本の場合、広い場所から自分にくる。
私の知ってる海外の住所の書き方は、
自分の場所から、外に向って行く。
文章の成り立ちも、そんな気がする。

自立、自律の仕方が違うのだろう。
たぶん、これは、作品の成立の仕方にも、関係している。

思考がそうだから、
日本の警察で初動捜査間違えると、後戻りできなくて、
冤罪とか作りやすいのかな?
最近、よく聞くけど。
って思ってたけど、その辺もきっとバランスの取れた捜査なのかな。

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私の美意識も、バランスが重要だ。
棒磁石の真ん中だ。
NでもSでも無い。
知りたいからと、折ってしまうと、そこは、
NとかSに成っている。

一休さんの句だが、
年毎に 咲くや吉野の 桜花 木を割りて見よ 花のありかを

に、近いかもしれない。

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有漏路より無漏路へ帰る一休み
雨降らば降れ風吹かば吹け

生まれては 死ぬるなるけり
おしなべて 
釈迦も達磨も猫も杓子も

白露の おのが姿は 其のままに もみじにおける くれないの露
年毎に 咲くや吉野の 桜花 木を割りて見よ 花のありかを

あるとみて なきは常なり 水の月
ないとみて あるは常なり 水の月

一休宗純


裏を見せ、表を見せて散る紅葉
ぬす人に取り残されし窓の月

良寛


馬の屁に 目覚めてみれば、飛ぶほたる

小林一茶

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何度読んでも色あせない。
私の美意識の全てがここにある。

こんな、作品を、作りたいとは、常に思ってはいるのだが、、、。

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