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デュシャンについて考えた:
*)アキレスとカメ=大ガラス
*)レディーメイド=性(欲)と輪廻
*)モナリザの絵にヒゲ=早すぎた2次元異性愛好者
*)便器に署名=最終的に到達する自我(プライベート)欲。
*)チェス→チェックメイト=アートのチェックメイト→
ナゼか始まってしまう→死んだ後に、女性の下半身。
*)最後の作品=夢(眠り)落ち
*)詩人、文学者>画家
>)大きな断絶。
>)断絶の隙間=眠り
>)絶望的な孤独=巨大な自我を、
死んだ後の作品により、夢に回収。
>)アキレスとカメ」は、時間軸が交互に生まれるルール。
同一の時間軸に両者は存在しない。
ただし、それを、鑑賞(観察)しているモノは、全ての時間軸を統合している。
と、適当なことを考えて、恥ずかしいコト記入してるかも?と、
情報の海にダイブ。
24時間後。
デュシャン面白い。
さらなる呪縛。
>
デュシャンの「泉(噴水)」を超える作品は出来ないと思う。
なぜなら、アレは「答え」では無くて「問題」だから。
チェックメイトでは無く、チェックをしつづけてる。
それも、無限に答えが出る。
なぜなら、人間の数(思考)に限りがないから。
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やっぱり、ちょっと恥ずかしいコト書いてる。が、
そのままにしよう。
10年後のために。
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改めて、考える。
しかし、似た様な結論に成ってしまう。
私が求めてるモノの、きっかけにしたいだけで、
デュシャンを深く知りたい訳じゃないからか?
ま、ともかく、
元々一つだったモノの間に壁を作る。
元々別々だったモノの間に壁を作る。
眠りは、その両方の性質を持つ。
意味は全然違うのだが、
壁がある限り、無限の可能性が生まれる。
以前、
自由でなければならない」は、もはや自由では無いって書いたけど、
自由は、勝ち取るモノである。」のは確かだ。
と、言うことは、縛りは必要だ。
私の場合の縛りは「線とは何か」だ。
この言葉を超えた所に自由がある。
戻す。
モノの見方を変えるために、
言葉(タイトル)を使う。
視覚は言葉に影響を受ける。
でも、そうなると、
日本の仏教みたいに、アートもなるのかな?
もう、なってるのかな。
だとしたら、なんでもありだな。
趣味でいい。
皆に好かれる作品」と、自分のための作品」。
以上、
終わり。
>
なぜ、そう成るかって言えば、
一神教じゃないからかな。
絵画(作品)の自律。
それを認めるのは人間だから、その人間の自律が必要。
となると、神の存在は絶対だ。
悪魔のあり方と似ているかも。
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