2012-02-04



展示作品解説(01)



日本の美術と白い壁:

まず、(作品を自立させるための)白い壁が罠だ。
さらに言うなら、アメリカ的の成長経済形コンセプトアートも罠だ。

日本人に向いてない。
日本人は、主観と客観を分けられない。
よって、作品自体を自立させようと思ってない。
たぶん、意味が分からない。
説得はできても、納得できない。

納得できないから、心が動かない。
印象派好きで、それ以降の意味が分からないのも、
そこにつきる。

だが、とはいえ、
作品で経済活動して、生活をして行くためには、
そのルールにのって、ゲームに参加しなくてはいけない。

どうしよう。
そんなわけで、今回のキャンバス制作は、始まる、、、訳、だが、、、、

キャンバス作品で、フチを描かないのは:

1)日本人は、枠の中で簡潔させようとしたり、制度を上げたりが得意。
内容から箱(ルール)を作ったりした考えが不得意。悪く言えば、箱もの行政。
2)カタから入って行く、お茶とか、能(良く知らないけれど)とかの美意識。
日本の個性とは、カタから入って、それでも、出てしまうモノを個性と言う気がする。
3)西洋のルール(キャンバス)に対する、日本人らしさの表現。

画面内のカット:

1)支持体(紙)の物質性を増す。
これは、新聞紙作品の方法そのまま。
2)奥行きを(物理的にも)広げる。
3)カットした内部と作品を取り囲んでいる空間が同じである事への意識。
全ては繋がっている。簡単に言えば、自立性の排除。
4)今回のみのコンセプトでは、作品「空と言う剣」との関係。
今この場所にも「空と言う剣(放射能)」は刺さっている。  
5)信じるコト(トマスの不信心)
人にとって一番大切なコトは、信じるコト。





Title:自画像2011



ま、こんなことから、
第2次世界大戦以後の(アメリカ型白壁)アートに疑問を持ちつつ、
大戦前のヨーロッパのアート(印象派だけど)ここから、
新しいラインは引けないのだろうか?

茶室の美意識って、真っ向勝負で、良いと思うし。
便器」が「首根っこ」だとしたら、
結構、危ういし、ってことは、
別の解釈とか、出来るのではないのかな?

なんてな、、、、、。
いまはこんなところで、、。