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十牛図について考察:
色々解説を読んだが、ピンとこない。いや、ピンとこなく成ってしまった。
なぜ家帰る必要があるのか疑問だった、、。が、そもそも家が重要で牛は後付けかもしれん。
牛についてのコマが多すぎる。不足を補うだけの心持ちに6枚もいらん。
8枚にするために6枚足したとしか思えない。(9、10図の最後の2枚は後で足されたらしい。)
ここの気持ちはよくわかる。その不足モチベーションで、40歳まで絵を描いてきたから。
だからこそ、9図の意味はわかる。あれから15年かかったが、”感謝”だろう。
そして、10枚目の絵が問題だが、この絵はググったところ、一人と二人バージョンの二種類ある。どちらにも布袋らしきおじさんが登場している。
二人の場合は布袋らしきおじさんに若い人が挨拶してる感じ。
ここで問題なのは、1~8までに出てきた主人公をどちらにするかだ。布袋にする場合は、時間が経ち、悟り、街に降りてきたで済むだろう。
然し若者だった場合はどうか。矛盾を少し感じる。が、たとえば、同じことを理解したことで、今まで見えてなかった仲間を認識することが、できるように成ったと解釈もできる。が、
布袋は大きな袋を持っている。せっかく8図で真っ白になったのに、なんでそんな荷物多いの?ってならないか?
布袋の荷物の中身は、貰い物であり、他者に与える物であり自分のモノでは無いというが、あの荷物の多さは、それに縛られてないか?
慈悲の大きさの解釈なのか?それでもって感じだな。サイズの視覚化は比較や区別を生む。
そもそも、牛(欲望)は無くなれば良いわけではない。それに捉われないことが大切で、無欲が悟りではないはずだ。
そもそも禅の問答は本当の答えのような裏設定が隠れている場合があるように思う。
とすると、この10図の裏設定は、”お前、ダメじゃん!”て若者に言われるのが正解の気がするが、この決めつけも”お前、ダメじゃん!”なのかもな。
正解は常に変化していて、その時その時の関係による和。
今の私に都合の良い正解と正義。
ともあれ、
ともあれ、
、、、、あれ?
家のこと忘れてた、、、。
ま、いいか、、、。
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