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運と感謝について:
運がいい」と答える人は、
感謝できる人」な、感じのことを、
友人のツイッターでみた。
なるほど、、、。
そうくるか。
「あなたに、感謝の意味は一生わからない!」
って言われてる私。
改めて考えると、
何にも感謝してない。
何にも無い所に居すぎたからか!?
思春期のトラウマのたまもの!?
だって、
全ては「ある」だけじゃん。
関係性も「ある」だけ。
今生きているのは、
親が育てたからじゃない、
私が生きたいからだ。
過去に縛られるのはゴメンだ。
存在理由が過去にあってたまるか!
成功した人が、昔、こんな辛いことがあって、、、
で、それがあっての今だから、
そのことに感謝しないと、、、ってよくあるけど、
それは、
記憶の書き換えのテクニックの一つだ。
記憶は消せないのだから。
そこまでして、正当化したい人生ってなんだ。
そういう方向性が、人を縛る。
存在理由がないと生きていけない!」ってなんだ。
いつからだ。
目標や目的のある生き方ってなんだ。
ただの「物語」だ。
主人公だ。
死ぬのが怖いだけだろ!
そのとうり。
とはいえ、「死」を隣に常に置いとくと、
物語を観てしまう。
でもあれか、目標とか持たない人って、
ホント努力とかしない。
しないって言うか嫌い。
あれも、困ったもんだけど。
目的や目標があった方が、生きやすいのは確か。
しかし、遠近法的(一点透視)すぎやしないか。
その生き方だけが正しいのか。
瞬間を丁寧に生きれる人に目標はいらない。
まぁ、
バランスにつきる。って話か、
何事も。
ってことは、どこに立つのかが、重要。
人は一人では生きてゆけない。
だから、「さみしい」と言う機能がある。
子孫を残すためにセックスは気持ちいい。
正直、今は、どうでもいい問題。
問題」が、どうでもいい。
問題」と「答え」をつなぐ「イコール」の方が問題。
と、言えば問題。
!?
!?
まてまて、
ひょっとすると、
感謝する」状況を知らないだけかもしれない。
言葉に成ってないけど、
それらしいコトはしてるかも?
怒られたし、それはないな。
俺なりの感謝っていっても、通じないしな。
形から入るつもりで、
食事の時には、手を合わせてはいるけど。
命を頂くことへの罪悪感が感謝なのか?
共感現象からの何かか?
違うな。
太陽とか大地に感謝とかは、何となくわかる。
それと、お世話になった人に感謝する。の、
感謝は同じなのかな?
人が人に感謝っておかしくないか?
と、
感謝の意味が分からない、
寂しい人間は、洞窟の真ん中で叫ぶ。
のか。
感謝すると、自分の価値が落ちると思ってるのか?
満ち足りすぎてて、無くならないと解らないのか?
いやぁ。
今や、「ある」だけだし。
無くなったら、無くなっただしな。
「ない」コトになれすぎたか!?
どっちかって言えば、
所有の方が恐怖だ。
今だと、「家族」。
「ある」ことの恐怖。
継続するための恐怖。
しかない。
でも、これが、一番、
感謝に近い気持ちかもしれない。
ただ、振り返れば良かったのか?
自分の体の見えない場所は、
触って確かめるしか無い。
視線や批判が光と成ってさす時、
生まれる影(輪郭)に何を観るのか。
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文章にして、読み直すと、
そうは言うけどって、
突っ込みたくなる。
けど、
って、予防線か。
自分で自分を納得させる。
結局、問題と答えか。
さて、
絵を描くという行為の中で、
行為を繰り返す。
と、する、
か、
うん。
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