2011-05-26




線について考えた2011-05:














なぜ線にこだわるのか、
人(私)の悩みは、枠組みだ。
名前、立場、トラウマ、組織、文字、国境、、などなど、
きりがない。

線の弾き方で、決まる。
今の線(枠組み)が嫌いなら、解体して、再構築。
やり方次第で、過去も未来も変えられる。

結んで解く、
結んで解く。
苦しみ喜び、
苦しみ喜び。

線の弾き方をとうして、
モノを理解し、知っていく、
繋げ、広げてゆく、

結局それは、自分を知っていくだけのコト、
私はどこから来て、どこへ行くのか、
人は!?

わからないまま、、、?。

ま、歩けば道(線)にはなる。



20代の頃、中国武術の本(マンガかも?)を読んでいて、
技の「点、線、面、体」を会得する。
みたいな事が書いてあって、
それを、作品に応用してたんだけど、
体」がよくわかんなくて、
そのまんまにしてたんだけど、
何となく解った。

そしたら、
点に戻って、もう一周して、、、、
あれ?
って思ったら、別の扉が出現。

「縁」の扉、出現。

よくまだわかんないんだけど、関係性だろう。

さらに、

「空」の扉。

で、たぶん、これまでは、空間軸のラインだから、
次は、時間軸のラインの扉かな。
ちなみに、
「宇宙」の「宇」は空間的な大きさ、「宙」は時間の広がりを表す。
考えた人凄すぎ。

本当は、

「てんせんめんたいえんくうちゅう」って感じで考えてて、

新聞作品とかナンカそうだけど、
http://arimanewspaper.tumblr.com/
漢字よりもひらがな(音)で、考えている。

たとえば「くう」。
辞書で調べると、たくさん漢字が出てくる。

それを観た人が、その時の気持ち、で自由に置き換えが可能だ。

「みたひとのみたいものになる」

私にとって、最高の作品のイメージ。

自分を起点に思考してるから、
自分中心になる、自分の外には行けない。

行けたとしても、自分が自分では無くなってるので、
意味が無い。

やはり、永遠に「れんこんのなか」。




なにかになりたくてなにのまま












線について2010-04-15-5
http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301762367-1